田尾 啓一
After J-SOX研究会 会長
立命館大学 MOT大学院 テクノロジー・マネジメント研究科 教授


 「After J-SOX」をテーマに掲げた本連載もいよいよ最終回である。過去の産業界の歴史を振り返りながら、日本企業が目指すべき企業価値経営の方向性について、改めて考えてみたい。

 わが国の製造業は、得意とする「すり合わせ技術」(経験に裏打ちされた微妙な調整によって部品同士を高精度に統合し、高い性能や品質を発揮させる技術)の分野を中心に復活している。J-SOX後の内部統制の効率化とその先の企業価値経営を目指すに当たっても、こうした日本企業の長所を生かし、欧米のフォロワーではなく、フロントランナーとして世界に発信できる企業価値経営を実現することが望まれる。

世界経済の動揺と日本の競争力の復活

 昨年来、サブプライムローン問題が発端となって世界的な株価下落とドル下落が進み、世界経済の不透明さが増している。最近では不動産下落、大手証券会社の破綻、金融機関の巨額の損失と資本注入など、日本が1990~2000年代にバブル崩壊の後遺症に苦しんだ状況に類似していると言われ始めている。不動産の急激な高騰は、米国だけでなく、中国、英国、スペインなど、多くの国で起こっていたことであり、サブプライム問題を契機に、これまでの上昇トレンドが世界的に下降トレンドに変わってきているのである。

 その影響で、わが国においても株価が下落し、景況感が悪化している。今回の経済変動は、1990年代の“失われた10年”とも言われる国際競争力の低下をようやく克服して、2000年代に入って立ち直りを見せつつある中で起きた。

 しかし、現在の日本が、米国と同じ状況にあるわけではない。既に不動産バブルを克服し、金融機関は不良債権処理を終え、債務者格付けに基づく貸出システムが整備され、借り手である企業の利付負債依存度も低下している。

 ものつくり企業では、「すり合わせ技術」や「統合技術」と言われる分野を中心に、製造業の復活が見られる。わが国の製造業は1980年代後半に、他の先進国の技術を取り入れて効率的な生産システムで競争するフォロワーの立場から、自ら新技術・新製品を開拓していかなければならないフロントランナーの立場になったと言われている。

 そうした状況を克服し、製造業の復活が着々と進んでいると筆者は感じている。英・米経済が、金融中心に発展し、製造業が弱体化しているのとは異なり、わが国は製造業を中心とした競争力の復活を示す経済体質に変革してきていると考えている。

コンセプト主導型のビジネスは欧米の追随

 しかし、すり合わせ技術の領域と比べて、わが国の産業において競争力劣化が見られる領域がある。その代表例は、グローバルな価格競争に巻き込まれているコモディティ化したビジネス領域と、コンセプト主導型のサービス産業であろう。

 前者は、製品を相互依存度の低いモジュールに分解し、複数のメーカーの部品を組み合わせて製造する、いわゆる「オープン・アーキテクチャ」の組み合わせ技術の領域である。例えばPCの領域では、中国や台湾などの躍進によって、日本のメーカーは競争力低下に苦しんでいる。

 後者は、コンセプト主導型のビジネスである。わが国はモノつくりに長けているが、コンセプト展開は苦手と言われている。事実、ITソリューションの世界でも、ERP(Enterprise Resource Planning)のような統合型ソリューションや、SCM(Supply Chain Management)、CRM(Customer Relationship Management)をはじめ、欧米のコンセプトが市場を席巻している。

 金融技術を駆使した様々な金融商品の開発と展開も、大半は欧米発のものである。わが国はこの分野では未だフロンティアには立てていない。物理的なモノつくりから離れたビジネスにおいては、漫画、ゲームなど一部のコンテンツを除き、世界をリードするポジションに立てていないのが現状である。そして今回のJ-SOXも、まさにSOXという名前が示すように、米国の規制が同様の形で日本に導入され、内部統制のフレームワークも米国のCOSO(トレッドウェイ委員会組織委員会)がベースとなっているのである。

日本ならではの独自性を持った企業価値経営の実現へ

 本連載を通して、内部統制を効率化し、その先の企業価値経営を実現するに当たって、現状の課題を指摘し、様々なソリューションを紹介してきた。これらの概念は、欧米からのそのままの輸入であってはいけないと考える。

 80年代後半から製造業でフォロワーからフロントランナーに移行したように、企業価値向上を実現する様々な取り組みや、その中で導入するソリューションも、欧米の手法やベストプラクティスの単なる導入ではなく、日本ならではの独自性を持った展開を行うことが求められている。そして、こうした取り組みの優れた成果を世界に発信していくフロントランナーとなりたいものである。

 これまで繰り返し述べてきたように、主として“守り”の色合いが強い内部統制の効率化を進めるとともに、企業価値経営として、“攻め”のリスクマネジメントとのバランスを取った経営基盤に拡張する必要がある。企業価値経営のあり方は、白黒のはっきりした画一的なものではなく、多様性を持ったものである。企業価値向上のカギを握る人的資本の育成・活用は、こうした多様性を受け入れ、個の力を生かし、創造性を高めるものでなければならない。そのためには、柔軟性・自己学習・変革能力を有する経営である必要がある。

 さらに、分権と集権、個の自発性と全体の統合性、標準化と個別対応能力といった様々な要素をバランスよく備えた、活力のある組織にしていく必要がある。日本の多くの企業組織が持っている柔軟性と調整力、統合力といった優れた特性は、わが国に適した効率的で柔軟なマネジメント体制とシステムを含む基盤作りを可能にする素地を持っている。

 だからこそ、内部統制基盤を企業価値経営基盤に発展させていく様々な経営変革においても、もの作りの世界で発揮している、調整力と統合力という日本企業の長所を生かしていくことが可能ではないか、と筆者は考えている。欧米のコンセプトやソリューションを踏まえつつ、わが国の独自性を生かし、世界に発信していく変革を行っていくことが望まれるのである。

 これまで16回にわたって、J-SOX対応後の企業価値経営への発展について述べてきた。是非、わが国から世界に発信できるフロントランナーとして、J-SOXを踏まえた企業価値経営を積極的に推進したいものである。

田尾 啓一(たお けいいち)
After J-SOX研究会 会長
立命館大学 MOT大学院 教授
京都大学理学部卒業後、大手IT企業を経て大手監査法人に入社し代表社員。組織再編に伴いグループのコンサルティング会社執行役員。企業の経営・財務管理、リスクマネジメント、プロセス改革などのコンサルティングを担当。2005年4月より、立命館大学MOT大学院教授。公認会計士。