いまは午前1時をまわったところ。みなさん,そろっていますか?

「おすっ! タカダ隊長,全員集合しておりますっ!」
しーっ,声が大きいです。
「それにしても,どうして今回は人事部なんですか? コスト管理の話とは関係ないと思うのですけど」

 確かに,直接の関係はないですね。でも,間接的にはいろいろと面白い話が転がっているんですよ,このフロアには。それに人事部ではどのようなことが行なわれているかなんて,普通は知られていないでしょう。人事のノウハウはどこの会社も「秘中の秘」ですからね。

 組織の中で,黒子とも伏魔殿ともいわれているセクションを探検しようというのですから,なかなか楽しいものがあります。ほら,そこの机の引き出しを開けてみてください。

「おっ,タカダ隊長,こんな書類を見つけました」

 これは来月に予定されている人事異動の,各部署の希望人数枠一覧と,支店や工場にいる社員の異動部署希望一覧をまとめたものですね。懐中電灯で照らすと,次のが浮かび上がりました。

表●各部署の希望人数枠と各社員の希望順位一覧
部署名
希望人数枠
経理部
(1人)
資金運用部
(1人)
宣伝部
(2人)
企画部
(2人)
社員A 4位 3位 2位 1位
社員B 3位 2位 1位 4位
社員C 2位 4位 3位 1位
社員D 4位 3位 1位 2位
社員E 4位 2位 3位 1位
社員F 2位 1位 4位 3位

ITの手助けで社員の希望に配慮した人事異動が可能になった

 この表中で,グレーのところは各部署からの希望人数枠であり,その下はそれぞれの部署に対する各社員の希望順位を表わしています。地方の支店や工場にいる社員なら,一度は本社勤務に憧れるものです。

「へぇ,いまは社員のほうから配属部署を希望できるのですか」

 かつては,人事異動は青天の霹靂(へきれき)でしたが,いまは社員の希望にできるだけ沿うように配慮された時代になっています。

「そうしないと,社員のモチベーションを維持できない,ということですかね」

 それもありますが,IT化の影響も大きいものがありますよ。例えば,表のように社員6人を,1人,1人,2人,2人ずつ各部署へ割り振る組み合わせを考えると180通りになります。この程度の組み合わせなら,人事課長が週末,自宅の書斎に籠(こ)もれば,希望者を各部署へ割り振る作業も何とか行なえるでしょう。しかし,2倍の12人の社員の希望を聴取して,それを例えば2人,2人,4人,4人ずつ各部署へ割り振る組み合わせだと何通りになるか,分かりますか?

「うーん,1000通りくらいですかね」

 いまが真夜中だからといって,寝ぼけたことを言っては困ります。20万通り以上あります。

「なるほどぉ,昔は手作業だったから,人事部では各社員の希望を聞き取りして何十万通りもの組み合わせを検討している余裕がなく,人事異動もカミナリのごとく落とすしかなかったんですね」

 さらに,3倍の18人の社員の希望を聞いて,それを3人,3人,6人,6人ずつ各部署へ割り振ろうとしたら,3億4000万通りもあります。各部署と各社員の希望を聴取して人事異動を短期間で決定しようとなると,ITの手助けがなければ実現できない仕組みです。

 さきほどの表でも180通りあるのですから,人事部としてもそれなりの苦労はあります。ITがそれを,どうやって解決しているのかを見てみることにします。

 まず,表では,経理部から企画部まで4つの部署から,1人,1人,2人,2人の人数枠の申請が上がっています。それに対して,社員Aの第1希望は企画部,第2希望は宣伝部,第3希望は資金運用部,第4希望は経理部になっています。企画部のほうでは2人だけの希望枠であるにもかかわらず,社員のほうで第1希望としているのは,社員A,社員C,社員Eの3人です。

「企画部はエリート-コースですからねぇ,希望者が多いのも頷けます」
それに対し,経理部を第1希望としている社員はゼロ。
「うーん,なんとなくわかる」

 こういう状況下で,社員6人の希望を最大限に満足させるには,どうしたらいいか,というのがこの問題へのアプローチの仕方です。管理会計的な表現をするならば,数多くある制約条件の中で,目的関数を「最小」にする解は何か,ということです。

 制約条件や目的関数という用語で思い出すものはありませんか?
「そういえば,シンプレックス法というのがありましたね」

 シンプレックス法については,岡本清先生『原価計算/六訂版』604頁以降にその解法が記載されています。コスト管理に携わる者なら,一度はがっぷりと組むべき相手です。ただし,シンプレックス法を土俵の外へ寄り切るのは大変な労力を要するので,このコラムでは少し違ったアプローチにより,シンプレックス法の基本原理を理解してもらうことにします。

「ああ,それで,今夜,この人事部に忍び込んだのですね」

 まず,目的関数をシンプレックス法の例に倣(なら)って“Z”と表記します。この目的関数Zは,各社員の希望順位の合計ですから,次の式が成り立ちます。

目的関数:Z=(各社員の希望順位の合計)

 例えば,社員6人全員が第1希望の部署に配属された場合,Z=(第1希望)×6人=6と計算します。社員6人全員が第4希望の部署に配属された場合,Z=(第4希望)×6人=24と計算します。

「Z=24となるような人事異動を行なったら,社員は一斉退職してしまうかもしれませんね」

 ですから,Zが最小値の6にできるだけ近づくような「人の組み合わせは何か」ということを探るのです。

「でも,Zを6から24までの値で均等に扱うのって,おかしくないですか?」
「そうそう。社員によっては,第2希望と第3希望の差を“1の喜び”とするなら,第1希望と第2希望の差は“100の喜び”の可能性がありますよ」

 確かに,目的関数Zの欠点は,社員の気持ちを「等差級数」で扱っている点です。人の心を等差級数で表わすことに理論的な根拠はありません。“1の喜び”や“100の喜び”をどう指標化するかは,各社「秘中の秘」といえます。

 おっと,午前2時をまわって,お腹が空いてきました。コンビニのおにぎりでも食べることにしましょうか。
「おいおい,またそこからかよ…」

■高田 直芳 (たかだ なおよし)

【略歴】
 公認会計士。某都市銀行から某監査法人を経て,現在,栃木県小山市で高田公認会計士税理士事務所と,CPA Factory Co.,Ltd.を経営。

【著書】
 「明快!経営分析バイブル」(講談社),「連結キャッシュフロー会計・最短マスターマニュアル」「株式公開・最短実現マニュアル」(共に明日香出版社),「[決定版]ほんとうにわかる経営分析」「[決定版]ほんとうにわかる管理会計&戦略会計」(共にPHP研究所)など。

【ホームページ】
事務所のホームページ「麦わら坊の会計雑学講座」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~njtakada/