前回は,モバイルサイトのシステム設定ミスが原因で起きた放送局の個人情報流出を取り上げた。

 電通が2008年2月20日に発表した「2007年(平成19年)日本の広告費」によると,2007年のテレビ広告市場が1兆9981億円で前年比99.1%だったのに対し,モバイル広告市場は621億円で前年比159.2%となっている。また,総務省が同年7月18日に発表した「モバイルコンテンツの産業構造実態に関する調査結果」を見ると,2007年のモバイルビジネス市場規模は1兆1464億円で前年比2179億円(23%)増となっている。

 成長著しいモバイルインターネット市場において,双方向型のビジネスモデルを支える共通基盤を担うのが「個人情報ライフサイクル管理」である。厳しい経営環境が続く放送局にとって,個人情報保護対策は,新規ビジネスモデル創出/事業拡大の鍵を握っている。

 さて今回は,医療分野の個人情報の収集/取得プロセスについて取り上げてみたい。

東京大学医科学研究所で発覚した不適正な研究論文

 2008年7月11日,東京大学医科学研究所は,同研究所先端医療研究センターの分子療法分野の研究室において発表された学術論文について,倫理上不適正な事実が把握されたことを発表した(「東京大学医科学研究所分子療法分野の研究倫理の観点から不適正な研究発表について」参照)。

 第60回および第79回で触れたように,医療分野の学術・研究では「個人情報保護法」や「独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律」の適用が除外される代わりに,「臨床研究に関する倫理指針」など,詳細な倫理指針が所管省庁から示されている。これらの倫理指針では,倫理審査委員会による承認,インフォームド・コンセントの取得など,厳格な手続きが要求される。

 医科学研究所のケースでは,報道機関からの問い合わせを受けて内部調査を行った結果,患者より研究利用の同意書を取得し,倫理審査委員会の承認を得た旨記載されているにも関わらず,同意書が確認できていない検体が一部使用され,所定の倫理審査申請が行われていなかった論文が複数あったことが発覚した。各論文に使用された検体は,患者から検査時に採取した血液や骨髄から得られた腫瘍細胞で,一部は前述の「臨床研究に関する倫理指針」が制定された後に採取されているという。

 国立大学法人東京大学の研究所は通常,「独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律」の適用対象となる。個人情報の収集/取得プロセスで「臨床研究に関する倫理指針」に規定された手続きを経ていなかったとなれば,医療分野の学術・研究であることを前提条件とした法適用除外の根拠が覆されることになる。

個人情報の収集/取得プロセスは医療研究の要

 医療分野の学術・研究では,日本で個人情報保護法制が整備される前から,欧米諸国を中心に,プライバシー/個人情報保護対策の重要性が訴えられてきた。例えば,第139回で取り上げたUCLA医療センターのホームページを見ると,「NOTICE OF PRIVACY PRACTICES」で,患者向けに以下のような説明がある。

Research. The University of California is a research institution. All research projects conducted by the University of California must be approved through a special review process to protect patient safety, welfare and confidentiality. Your medical information may be important to further research efforts and the development of new knowledge. We may use and disclose medical information about our patients for research purposes, subject to the confidentiality provisions of state and federal law.(以下省略)

 一読すると,研究と治療との違いについての認識が明確に反映されていることが分かる。また,訴訟社会の代表格である米カリフォルニア州の医療機関が,「All」「must」といった表現を使っている点も興味深い。東京大学医科学研究所をはじめ,日本の医療研究者は,このような医療機関の研究者を相手にグローバルな競争をしているのである。

 成果物の内容がどんなに優れていても,個人情報の収集/取得プロセスで所定の手続きを経ないまま実施された研究では意味がないというのが,世界の医療界の常識だ。言い換えれば,個人情報の収集/取得プロセスが医療研究の要になっている。医学研究におけるインフォームド・コンセント,倫理審査委員会などの問題については,ボストン大学ジョージ・アナス教授の「患者の権利~患者本位で安全な医療の実現のために~」(明石書店刊)で概説されているので,一読することをお勧めする。

 次回は,現在進められている「臨床研究に関する倫理指針」の改正作業の観点から,この問題を考察してみたい。


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■笹原 英司 (ささはら えいじ)

【略歴】
IDC Japan ITスペンディングリサーチマネージャー。中堅中小企業(SMB)から大企業,公共部門まで,国内のIT市場動向全般をテーマとして取り組んでいる。医薬学博士

【関連URL】
IDC JapanのWebサイトhttp://www.idcjapan.co.jp/