山本 直樹
ベリングポイント
テクノロジーソリューションチーム シニア マネージャー

 本連載の第6回目となる今回は、人類にとって未知の脅威である「新型インフルエンザ」に焦点を当てる。

 この7月31日、厚生労働省は「事業所・職場における新型インフルエンザ対策ガイドライン(改定版)」を公表した。この改定版には、旧バージョンではほとんど触れられていなかった「事業継続」の観点が追加されている。

 これまで新型インフルエンザに関する話題といえば、国家や自治体レベルの対策、もしくは、個人や家庭における備え、といったことばかりが取り上げられてきた。企業単位の対策については、十分に議論が尽くされてこなかったのである。しかし、企業は社会を構成する一員として、新型インフルエンザ発生時にどのような対応を取るべきかを考えるとともに、BCM(事業継続マネジメント)の観点から、企業自身の損失を最小化することにも努めなければならない。

差し迫る新たな脅威

 今年に入り、連日のように「新型インフルエンザ」の文字が新聞紙面を飾っている。昨年までは、他の先進国などに比べて準備が遅れていると指摘されてきた日本政府が、ようやく重い腰を上げて、対策に乗り出したことが背景にあると考えられる。

 新型インフルエンザの議論が今ほど活発になるまで、話題の中心は鳥インフルエンザだった。鳥インフルエンザは、主に「H5N1型」と呼ばれる強毒性のインフルエンザ・ウィルスが引き起こす感染症のこと。鳥類が感染すると、48時間以内の致死率がほぼ100%に及ぶほど殺傷能力が高い。このウィルスは、いつからか人間にも感染するようになった。H5N1型ウィルスが鳥から人に感染した事例は、既にいくつかの国で確認されており、死者の数は累計200人を超えている。

 今後、このウィルスがさらに変異すると、人の体内で増殖し、人から人へ効率的に感染する能力を持つようになると言われている。この変異したウィルスに感染した疾患が「新型インフルエンザ」である。新型インフルエンザが、免疫を持たない人類の間で急速に感染が広がり、世界中で大流行する状態を「パンデミック」と呼ぶ。政府が昨年10月に改定した「新型インフルエンザ対策行動計画」によると、国内では4人に1人の割合で感染が広がるとされており、そのうち死者は64万人か、それ以上と試算されている。

 世界保健機関(WHO)は「世界インフルエンザ事前対策計画(WHO global influenza preparedness plan)」において、新型インフルエンザに関する警報フェーズを6段階に分けて示している。それによると、現在の警報フェーズは6段階のうち「3」という段階にある(図1)。これは、「人から人への感染はない、または、極めて限定されている」ことを意味している。ただし専門家の分析によると、パンデミックはもはや、起きるか起きないかの問題ではなく、いつ起きるかの問題だという。

パンデミック間期
(動物間に新しい亜型ウイルスが存在するがヒト感染はない)
ヒト感染のリスクは低い 1
ヒト感染のリスクはより高い 2
パンデミックアラート期
(新しい亜型ウイルスによるヒト感染発生)
ヒト-ヒト感染は無いか、または極めて限定されている 3
(現在の警告フェーズ)
ヒト-ヒト感染が増加していることの証拠がある 4
かなりの数のヒト-ヒト感染があることの証拠がある 5
パンデミック期 効率よく持続したヒト-ヒト感染が確立 6
図1●WHOによる「世界インフルエンザ事前対策計画」で定義された警報フェーズ
現在は、パンデミックアラート期のフェーズ3に相当する

 これだけの脅威は、現代社会にとって初めての経験である。もし、本当にパンデミックになった場合、その影響はあまりに大きい。そのためか、最近ではテレビの情報番組などでも、新型インフルエンザを取り上げることが多くなった。NHKのドラマでも、三浦友和が医師に扮し、パンデミックと格闘する姿を演じた。2009年1月には、妻夫木聡や壇れいが主役を務める映画「感染列島」が公開されるそうだ。

定番の対応策が通用しない!

 これまでは、新聞で見る新型インフルエンザ関連の記事といえば、「プレパンデミックワクチンの製造・調達」、「タミフルの備蓄」、「在外邦人の帰国」、「感染者の隔離」、「空港や港の閉鎖」など、国家や自治体レベルで考えるべきテーマが多かった。

 では、企業の単位では何をすればよいのだろうか。どのような企業が、どのような準備をしておく必要があるのだろうか。

 まず明言したいのは、新型インフルエンザ対策は、グローバル企業だけの課題ではないということだ。

 新型インフルエンザの感染者が死亡する事例は、主にインドネシアなどのアジア諸国から報告されている。しかし、新型インフルエンザへの備えは、アジア諸国と交流を持つ商社や大手製造業者だけでなく、国内で事業展開している企業にも必要である。なぜならば、いったんパンデミックの状態になってしまうと、世界中のどこにいても、インフルエンザに感染する可能性があるからだ。

 ところが、日本企業による対策はあまり進んでいない。

 4月28日付け日経産業新聞によると、国内の主な製造業・流通業109社を対象に実施した新型インフルエンザ対策に関するアンケートの結果、「新型インフルエンザへの対応マニュアルを整備している企業」は37.6%、「新型インフルエンザが流行することを想定したBCP(事業継続計画)を策定している企業」は24.8%にとどまった。さらに「新型インフルエンザの発生に対応するための社内訓練を実施したことがある企業」は、わずか2.8%しか存在しなかったことが、明らかになっている。

 ここでいう対応マニュアルとは、新型インフルエンザが流行したとき、もしくは、その可能性が疑われるときの企業および社員の行動指針を定めたものであり、主に健康被害を最小限に抑えることを目的としている。その内容は「自宅待機」、「備蓄したマスクや消毒薬の配付」、「海外駐在員の退避」、「出張や会議の中止」といったものが中心である。

 これに対してBCPは、新型インフルエンザが発生した際に、いかにして業務を継続するかを定めた手順書である。こちらの内容は、「社員の出社を停止し、自宅から業務を行う」、「インフラや保守などの最低限の業務のみを継続する」、「感染者を隔離して通常通り業務を続ける」といったものである。

 一般的にBCPの定石といえば、「別の場所に移動して業務を続ける」か「別の場所にいる他チームに担当を振り替える」の2パターンなのだが、パンデミックの状況下においては、これらの定番パターンは、あまり機能しない。場所を変えても、またそこで新型インフルエンザが流行している可能性が高いからだ。唯一、有力な選択肢と考えられるのは、自宅での勤務である。

 国立感染症研究所の試算によると、仮に東京在住の日本人ひとりが海外で新型インフルエンザに感染し、帰国したとすると、その後わずか2週間で、感染は北海道から沖縄にまで広がり、感染者数は36万人に及ぶそうだ。感染者が咳をすると、その飛沫(ひまつ)に付着したウィルスが空気中をさまよい、周辺にいる人の体内に入る。これを繰り返して感染は広がる。

 逆にいうと、人に会わなければ、感染する可能性は低い。最も有効なBCPである「自宅勤務」を可能とするため、企業はテレビ会議、電話会議、コンピュータやネットワークなどの環境を予め整備しておくことが、レジリエンシー強化の決め手となるだろう。