意思決定に当たって十分な分析資料をそろえることは重要だが,分析ばかりしていても先に進まない。「分析をどこで切り上げるか」は誰でも迷うが,分析プロセスを標準化することで成果物の品質を一定に保ち,工数も抑えられる。あとは経営トップに,提案書と分析資料をぶつけてみよう。トップとの対話が大きな収穫となるはずだ。

小川 康
インテグラート 代表取締役社長



 前回は,不満や反発を生まない意思決定について,全体最適の観点から解説しました。ある事業戦略を生かすために,ほかの事業戦略が不採用となることもあり得ますが,不採用となった事業戦略に関係する人々は当然不満を持ちます。意思決定の納得感を生み出す「合理性」「合意性」「俯瞰性」「一貫性」という4つの性質は,このような不満を「組織全体でゴール達成に向かう推進力」に変えていくために,ぜひとも大切にしたいものです。自分が担当している新規事業を成功させるには,自分が立案した戦略案のみならず,部門全体ひいては全社の視点で考えるとよいでしょう。

 さて,連載当初から紹介してきた大手化学メーカーA社の新規事業プロジェクトに関する立案・意思決定も,いよいよ大詰めを迎えようとしています。同社コーポレートIT部の鈴木主任とその上司である佐藤課長は,コンサルタントの高橋氏に今までの検討内容を報告しました。

コンサルタントからの助言◆過度の分析は合意性を阻害する

「佐藤さん,鈴木さん,見直し案から再度見直し案の検討,そしてポートフォリオの検討まで,がんばりましたね。ここまで分析するのは大変だったでしょう」

 コンサルタントの高橋氏から褒められ,鈴木主任は一瞬誇らしく思った。しかし,佐藤課長は厳しげな表情を崩さず,今,最も問題に感じていることを高橋氏に尋ねた。

「ここまで分析を行ったのですが,明確に結論を出せないんですよ。長所も短所もあることは明確になったのですが…。さらにどのような分析をすればよいでしょうか」

 佐藤課長はこれまでの分析作業に行き詰まりを感じ,これを打開するための策をコンサルタントの高橋氏に問うた。だが,高橋氏の返事は,佐藤課長にとって意外なものだった。

「このあたりで,分析はやめておきませんか」

 「はぁ?」と首を傾げる佐藤課長に向かって,高橋氏はさらにこう続けた。

「今まで,いろんな分析をしてきましたね。中でも重要なのは,新規事業の投資対効果を分析してきたことです。ここで忘れてはならないことは,この分析業務そのものにも投資対効果があるということなのですよ」

 高橋氏が言おうとしたことは,こうだ。新規事業に対する投資規模が大きければ,当然ながらそれなりに分析する必要がある。この新ブランド立ち上げの新規事業にも,もちろん適切な分析が必要とされる。しかし,これまでの検討経緯を佐藤課長から聞いた感じでは,もう十分なコストをかけているように思われたという。

 さらに,分析コストの問題だけでなく,別の観点からも分析作業を一度やめてみるべきだと高橋氏は話す。

「分析コスト以外に見落とされがちなのは,『過度な分析が合意性を阻害する』という事実です。私はこれを“分析のジレンマ”と呼んでいます」

 高橋氏の説明によると,分析を緻密に行えば行うほど,分析の中身にブラックボックスが多くなり,経営トップが理解しにくくなる傾向があるという。本当に良い分析とは,緻密に分析した結果が明快に整理されているものだが,そのためには相当なコストをかけなければならない。分析コストを低く抑え,ブラックボックスを避けて合意性を高めるためには,分析作業をこのあたりでやめておくのが妥当だという。

「そうだった…。田中本部長に再度説明に行こうとしていたところで,全社の視点で分析を始めたのだった。もう経営トップに報告すべき時期なのだ」

 佐藤課長は考えを改めた。これ以上分析を続けたとしても,早晩社内でも「一体いつまで分析しているんだ」と指摘されていただろう。さらに細かい分析を行っても,内容が細かくなりすぎて,理解してもらうのに苦労する恐れがある。「よく分からないよ」と言われてしまっては,元も子もない…。