秋山 進
ジュリアーニ・コンプライアンス・ジャパン
取締役・マネ―ジングディレクター

 98年にリクルートを退職した私は、いろいろな企業のCEO補佐の仕事を行っていました。もともとは攻撃側の仕事(事業開発や商品開発)を中心にしていたのですが、CEOの仕事は、どちらかというと防御の仕事のほうが多いものです。攻めの楽しいところは現場の人が持って行ってしまい、トップの仕事は事業の撤退やトラブルの後処理、やややこしい人事問題といった防御の割合が圧倒的に高いのです。こういった守りの仕事では、CEOが毅然と対応し、価値判断基軸を明確に示せるかどうかが、人々のモラルを上げ、よい気風を作り出す原動力になります。

 その後、私は高名な弁護士である中島茂氏とともに出版した「社長!それは法律問題です」(日本経済新聞02年)をきっかけに、自分でも予期せぬことながら、コンプライアンスの仕事を行うようになっていました。そして、04年の秋に、産業再生機構のもとで再建中であったカネボウ化粧品のCCO(チーフコンプライアンスオフィサー)代行になることになったのです。

 当時のカネボウ化粧品は、特別な会社でした。

 御存じのように、カネボウは産業再生基構が株主になるまでに約2000億円の巨額な粉飾決算を行っていたのでした。そんなことから、CCOになるということに対し、多くの人たちからは、よく火中の栗を拾うね。と心配されたりもしたのです。

 しかし、現実は心配するようなことはそれほどありませんでした。化粧品部門はある種の被害者で、本来もっと伸びる潜在力がありながら、上げた利益を他部門の赤字の補てんに使われ、十分に能力を発揮できていなかったのです。したがって、会社に入ってみると、社員が大変元気なことに驚かされました。それまでのように、無理やり利益を絞りだすために苦し紛れにブランドを乱発することもなく、お客様のことだけを考えてビジネスができる喜びに満ちていたのです。

 ただ、長年、財務面で厳しい状態が続いていたため、いろんなリスクに対して十分に対策が打たれておらず、放置されているものがたくさんありました。これらを現場の方とともに洗い出し一つひとつ潰していきました。またコンプライアンスについては、意識は高まっていたものの、知識がまだ十分ではありませんでした。それを実現するために使ったのが、これまでの連載でご紹介していきた3択問題でした。そこには会社のスローガンであるfeel your beautyを体現する行動とは何かという価値的な問題を潜ませる方法で、理念の浸透も併せて行っていったわけです。

 その後、カネボウ化粧品は産業再生機構のもとを離れ、花王グループに入りました。それとともに私もCCOの仕事を終えたわけです。

 カネボウ化粧品は、たしかに一時期、会社が漂流し厳しい時代もありました。しかし、ここでもリクルートと同様に、不祥事が表面化した結果、会社は新たなチャンスを得ることができ見事に再生を果たしたわけです。この際も、産業再生機構から派遣されていた余語邦彦CEO(当時)や40代前半の若さで会社を率いることになった知識賢治社長などのリーダーシップのもと、全社一丸になって事業の推進と会社の健全性や透明性を高める努力を行ったのです。

 リクルートもカネボウ化粧品も、不祥事は会社をよくするキッカケになったのです。