1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,2007年に至るまでの生活を振り返って,週2回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 それは,客先(発注元)の担当者から来た一通のメールで始まった。「私このたび転属が決まりまして,後任の担当者を紹介したいのですが」とある。カレンダーを見ると3月。ああ,世間ではもうそんなシーズンなんだなと思った。今回のシステムは開発期間がトータルで1カ月半ぐらいの仕事だが,納品までは残り2週間を切っている。早速,メールを返信して打ち合わせの日を調整した。

 人材の流動化を促すとか,組織のこう着化を防ぐという意味があるのだろう。企業によっては特に理由もなさそうなのに,ローテーション人事を行うところがある。そして私にとって悲しいことに,優秀な人ほど異動するのが早いような気がする。半年から1年で,その時々に応じて,より先進的な,より戦略的な事業へと移っていってしまう。キャリアを積んで,いずれは組織の上層部に昇っていってしまうのかと思うと,現場一筋の私にとって少し寂しいものがある。

 後任の担当者と初顔合わせの席。名刺を交換して席に着き,ふと相手の手元を見ると,見慣れたドキュメントに赤字で修正がびっしりと入れてあるではないか。前任の担当者が書いた企画書だ。「や,やばい。これはもしかすると…」。悪い予感が頭をよぎった。

 発注元の担当者には二つのタイプがある。「元気なひと」と「そうでないひと」だ。もっとも,どちらになるかは,本人のスキルや仕事に対するモチベーションだけでなくそのときの事情にかなり依存する。上司から頼まれてしぶしぶ担当になった場合や,本人が不得手なジャンルにいきなり突っ込まれた場合には,普段は「元気な人」であっても,「元気でない人」になってしまうのかもしれない。

 仕事を受ける発注先にとっては,発注元の担当者は元気な方がいいに決まっているのだろうって? いや,実はそうでもないのである。熱意のある元気な人がシステムを企画し,開発側ができるだけそれにこたえようとするプロジェクトが必ずしも成功するとは限らない。以前,発注元の担当者が出してくるアイデアを発注先の技術者ができるだけ取り入れていったあげく,スケジュールをずるずると引っ張ってしまったことがあった。結局そのプロジェクトは,我々が作ったシステムをプロトタイプにして,発注元が別のソフト会社に改めて本番用システムの開発を依頼するという苦い結果になってしまった。

 さて,今回の打ち合わせに出てきた担当者はどうか。ドキュメントにびっしりと赤を入れているところを見ると,「とても元気な人」である可能性がきわめて高そうだ。そう思って身構えていると,案の定である。「ここの画面遷移なんですけど,もう少し利用者にわかりやすい方がいいと思って」とか「ここには商品の個数を表示したいんですよね」などと,次々と改善案を繰り出してくる。

 もちろん,引き継いだばかりのプロジェクトに思い入れを感じて,ここぞとばかりに自分のアイデアで仕様を刷新してしまおう,という態度を否定するものではない。しかし,こちらからすれば「せっかく仕様が決まったのに。やれやれ」という感じもする。システムの稼働を開始する日は,すでに発注元でトップダウンに決められている。加えて,いまさら大幅な仕様変更をするのは,開発を担当しているスタッフにも申しわけがない。

 「リソースが無限であればスケジュールは存在し得ない」。これははるか昔,システム工学の授業で聞いた…ような気がする。しかし,現実問題として費用と工数には限りがある。今からスケジュールや開発費用の再調整を伴うような仕様変更はほぼ不可能だ。心を鬼にして「いや,今のスケジュールですとこの仕様変更はちょっと…」などと切り返したりしていた。

 とは言え,「リソースがないのでできません」と突っぱねるだけでは能がない。トレードオフ・ポイントを理解してもらい,納得のうえで妥協してもらわないことには相手に不満が残る。と書くとかっこいいのだが,ここでは納期が迫っていることを実感してもらうために,ちょっといじわるをしてみよう。分量的に無理であることを承知のうえで「修正点を今週いっぱいにまとめて提出してください」と依頼してみた。ところがなんと,修正した企画書が木曜日の夜遅くにメールで届いた。徹夜をしてまとめたに違いない。私の中で彼は「とても元気な人」から「非常にエネルギッシュな人」へと昇格した。

 本当はこういう熱意のある発注元担当者と,何もないところからああでもない,こうでもないと新規システムのアイデアを語り合うのが楽しいのだ。ちょっと想像してみてほしい。発注元から「こういうシステムにしたいんだけど」と言われて渡された企画書に基づいて仕様書ができあがるころにはすでにお互い,すっかりそのシステムにのめりこんでいる。発注元の担当者は仕様書の記述だけでは満足できず,システムがどんな風になるのか,設計者にさまざまな質問を浴びせる。目を輝かせ,うれしそうな表情で執拗に食い下がってくるのは,担当者の思い入れの深さの現れだ。

 一方,設計者はもうほとんど頭の中でシステムができあがっているから,こともなげに答えていく。担当者は,自分が意図した通りだと納得してほっと胸をなでおろし,設計者への信頼を深めていく…。経験したことのある人ならわかるはずだが,システム開発者が「もの作りの喜び」を感じる瞬間である。これがまた,なかなかの快感で病みつきになるのだ。

 だから現場はやめられないんだろうって? そうかもしれない。今回のプロジェクトが終わったら,次はこの担当者のオリジナルの企画で仕事をしてみたい,と心から願う今日このごろである。