田尾 啓一
After J-SOX研究会 会長
立命館大学 MOT大学院 テクノロジー・マネジメント研究科 教授


 これまでの連載で、日本版SOX法(J-SOX)の課題と改善策の提案、および、J-SOXから統合リスク・マネジメント(ERM)への拡張施策について論じてきた。ここからは「After J-SOX」として目指すべき連結経営と企業価値の向上について論じていきたい。

 企業価値を向上させるためには、持続的な成長基盤を確立する必要がある。内部統制は、経営基盤を支える、主として守りのリスク・マネジメントといえるが、成長するためには“攻め”と“守り”のリスク・マネジメントが必要である。ERMは内部統制を拡張し、連結経営基盤を支えるフレームワークとなる。

企業価値とは何か

 企業価値については様々な議論があるが、第3回でも説明したように、財務面で評価する場合は「将来キャッシュフローの現在価値」という定義となる。すなわち、将来の価値(将来、生み出すと予想されるキャッシュフロー)から、投資家が各自で定めた投資回収期間の金利やリスクを割り引いて算出した、現在時点での価値である。

 そして、将来キャッシュフローの最大化を実現するためには、長期的な顧客関係の構築や人的資本の育成・強化、企業としての社会的責任、といった持続的成長のための基盤作りが必要となる。したがって、企業価値経営は財務面だけでなく、そのベースとなる顧客、従業員、株主、社会といった多面的な価値の創造に取り組む必要がある。

 また、企業価値を創造するためには、人、物、金、情報といった経営資源が必要となるが、ニューエコノミーと言われる今日では、人と情報にかかわる“無形資産”の重要性が高まっている。こうした資産は多くの場合、知財に代表されるように、貸借対照表に載らないオフバランスの資産であることが多い。したがって、企業価値経営は財務情報に基づく経営よりも、幅広い概念となる。

After J-SOXと企業価値経営との関係

 開示情報の虚偽記載の発覚や法令順守違反などにより、社会的信用が大きく失墜した場合は、存続を脅かすほどのダメージを被ることも稀ではない。こうしたリスクが顕在化しないように、“守り”を固めるのが内部統制の役割であり、なかでも財務情報の信頼性を重視した内部統制がJ-SOXであった。

 しかし、守りを固めるだけでは、将来キャッシュフローの拡大によって企業価値を高めることはできない。将来キャッシュフローの持続的な拡大を実現するためには、リスクを取ってビジネスの機会をとらえ、それをキャッシュフローに変えて行くことが必要である。

 リスクはダウンサイドに振れれば(ダウンサイド・リスク)損失となるが、アップサイドに振れればビジネス機会となる。したがって、リスクは単に低減すればよいというものではなく、リスクをコントロールしながらアップサイドのビジネス機会を積極的に取って行くことも必要になる。

 例えば、企業は多額の研究開発投資と設備投資を行っているが、こうした投資は、成功すれば大きなキャッシュフローを生み、成長の原動力となるが、失敗した場合は業績に大きなマイナスをもたらす。また、金融機関は信用リスクやマーケット・リスクをコントロールしながら、金融取引によってリターンを上げている。

 サービス業の多くは、オペレーショナル・リスクを制御しながらリターンを上げている。このように企業には、自社の体力の範囲内でリスクの許容水準を定め、その中でリスクを取ってビジネス機会をキャッシュフローに変えていくリスク・マネジメントが必要である。それは企業戦略そのものだ。

 つまり、内部統制整備によって実現することは、企業の持続的成長を支え、企業価値創造の基盤を構成する守りの部分と考えることができる。しかし、基盤整備にコストがかかりすぎ、経営効率を損ねることがあれば、角を矯(た)めて牛を殺す(曲がっている角をまっすぐにしようとして、かえって牛を死なせてしまう)がごときものであり、むしろ上述のような持続的成長を損ねることになる。したがって、効率的な内部統制整備と運用は、After J-SOXの課題の一つである。