言うまでもなく,時間は無限にあるわけではない。しかし1日を「24時間もある」と考える人と,「24時間しかない」と考える人では,同じ24時間でも価値が全く異なる。

 価値観の違いは睡眠時間の取り方にも表れる。例えば睡眠に毎日8時間充てる人と,6時間充てる人がいるとしよう。たった2時間の違いと思うなかれ。文庫本など2時間もあれば読めてしまうので,読書量は1日当たり1冊の差がつく。月に換算すると30冊。年に換算すると何と400冊近い違いが出てくるわけだ。逆に,他人より2時間多く睡眠を取ることで何か得るところがあるかと言えば,甚だ疑問である。

 筆者がパリに出張していたときのことだ。プロジェクトが泥沼状態で4カ月間ほとんど休みなしに働き,毎日2~3時間の睡眠しか取れず,身も心もボロボロだったのだが,プロジェクトをテコ入れするために,本部から部長クラスのお偉方が視察にやってきた。そのお偉方は日本での仕事を終えた夜に成田を発ち,17時間もかけてドゴール空港に到着。その足で筆者たちが働く現場に駆けつけ,開口一番こう言った。「ルーブル美術館は見たか?」。

 筆者はあ然とした。正直な話,何をのんきなことを言っているのだろうか,と思った。「我々はこの4カ月間,休みらしい休みもなく働きづめなんだ。美術館なんか見ているヒマがあったら眠りたいよ」。もちろん,相手はお偉方,こんなこと口には出さなかったが…。

 お偉方は続けてこう言った。「何だおまえ。4カ月もパリにいて,ルーブルすら観てないのか」。筆者は腹が立った。現場の苦労を分かっていないと思った。

 しかし,分かっていないのは筆者のほうだった。実は,そのお偉方も日本では,難航するプロジェクトへの対応で満足に睡眠が取れない日々が続いていたのだ。日本からパリへの長旅を経て,ホテルにも立ち寄らず職場に姿を現したとき,顔がげっそりとやつれているのを見て,筆者は旅の疲れかなと思った。実は蓄積した疲労のせいだったわけだ。

 しかし,そのお偉方は筆者などとは根性が違っていた。パリに到着したその日にいきなり徹夜仕事をこなし,翌朝に何とそのままルーブル美術館などパリ市内の名所を見て歩き,再びその日の午後に職場に出てきたのである。筆者はホテルに直行して4~5時間ほど眠ったのだが,お偉方は30分ほど仮眠を取っただけらしい。

 しかも,当時20代後半の若者だった筆者に対して,お偉方は50を超えたシニアだった。心配になった筆者は,「ゆっくりホテルで休んだほうが良かったんじゃないですか」と聞いたら,その方はこう言った。「冗談じゃない。せっかくのパリじゃないか。寝るなんてもったいない」。しかもケラケラ笑いながら。

 脱帽である。若い筆者が日々の仕事に流されるまま,目の前にある異文化への好奇心よりも,肉体的な疲労回復を優先する一方で,50過ぎのシニアが,その場限りの肉体的な欲望よりも,精神的な好奇心を満たすことを優先していたのである。

 結局,そのお偉方はパリに滞在した1週間の間に,4カ月滞在していた筆者よりもはるかに多くの名所を巡り,パリの文化を感じ取って帰って行った。帰り際の表情は寝不足で顔面蒼白だったが,それでも無邪気な子供が一生懸命遊んだ後のように満足気だったことを今でも覚えている。「仕事も遊びも好奇心だよ。好奇心をなくしたら,良い仕事も楽しい遊びもできやしないよ」。その人は最後に言った。

 24時間という制限なんて,あってないようなもの。気持ち次第で時間は無限大にも無限小にもなる。「時間がない」というのは,しょせん負け犬の言い訳に過ぎないということを,パリにやって来たお偉方が,身を持って教えてくれた気がする。

岩脇 一喜(いわわき かずき)
1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社)