景気の先行きが不透明なこともあって日本の未来を悲観する論調が支配的だ。有識者は軒並み、日銀総裁人事問題などを例にとり「政治が機能しない。日本は世界から遅れて存在感も薄れつつある」と嘆く。だが、本当に日本は停滞しているのか。筆者はそう思わない。むしろ社会も政治も熟成の域に達し始めたと思う。

西日本から始まるオトナの政治意識

 日本人の政治意識は着実に進化している。象徴的な出来事が昨年の滋賀県の新幹線新駅問題、東国原知事の活躍、そして今年の大阪府の橋下改革である。従来なら「ばら撒き」をしてくれる知事が支持された。ところが今は財政再建を掲げる知事に人気が集まる。明治維新も西から始まった。大きな構造変化の予兆と見てよいのではないか。

 一方、中央政界はまるでぱっとしない。政権交代も政界再編も、そして道州制も議論ばかりで盛り上がらない。しかし政争の争点の質は向上した。特に最近の民主党が繰り出す争点は筋がよい。小泉政権以後、最近の日銀総裁問題まではまだまだ揚げ足取りのテーマが多かった。しかし、(1)インド洋給油問題、(2)年金記録問題、(3)ガソリン税問題などはいずれもわかりやすいテーマであり、かつ国民に政治の役割を考えさせる格好の題材だった。それぞれが、(1)日米安保体制と自主外交、(2)老後の保障と国家の役割、(3)公共事業のあり方と税負担、を考える格好の教材となった。

バッシングから政策ポピュリズムへ

 最近のわが国の政治は「ポピュリズム政治」だとしばしば批判される。確かに人気取りの政策は多い。だが従来のポピュリズム政治では「官僚」「族議員」「守旧派」「既得権益勢力」「悪徳事業者」などヒトのバッシングが多かった。マスコミと政治家が一緒になって仮想敵を設定する。そして「彼らが悪い。だから改革だ」と主張した。国民も改革者を水戸黄門的存在と捉え、彼(彼女)が悪代官を征伐するのを期待した。省庁再編、道路、郵政はいずれもこの構図だった。

 だが最近はヒトのバッシングよりも政策がポピュリズムの対象に変わりつつある。ガソリン税問題が典型である。多くの人がスタンドのガソリン価格の変動に政治の息吹を感じた。政治のあり方が個人の財布に直結するとみんな学習した。

 ガソリン税問題だけでない。後期高齢者医療保険や年金問題など個人の生活に直結するお金を巡る政策論争が起きている。最近の政策ポピュリズムは国民の財布の中に入ってきたといってよい。背景には財政危機が政治を進化させたという事情がある。金がなければバラ撒き合戦はできない。むしろ政策の優先順位をめぐる論争になる。ついにわが国でも政策の選択がポピュリズムの対象になりつつある。結構なことではないか。

 進化といえば二院制の「ねじれ」もそうだ。あれは政権交代のある国ではいつでも起こりうる現象であり、原理的にも不思議ではない。だが今までの日本にはなかった。「ねじれ」は明らかに政権交代の予兆である。そして国民の政治意識が成熟した証拠である。

 日本は外から見れば混迷度を高めているように見える。だが内面では成熟の度合いを高めている。動いていないようでいて実は日本は動いている。だが成熟の姿が捉えにくいだけなのだ。

上山氏写真

上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』『ミュージアムが都市を再生する』ほか編著書多数。