秋山 進
ジュリアーニ・コンプライアンス・ジャパン
取締役・マネ―ジングディレクター

 さて、今回は、個人的な不祥事体験の話をしたいと思います。

 私がリクルートに入社したのは1987年、世にいう「リクルート事件」の起こる一年前のことでした。会社はまさに日の出の勢いで、売上、利益ともに急成長を続けていました。まだ無名のこの情報企業に就職することに対し両親は反対でしたが、個人的にはその成長性に確信がありました。

 私が最初に配属された部署は社長室で、創業者でもあり社長でもあった江副浩正氏の社内向けのスピーチ原稿の下書きをするのが最初の仕事でした。「日経ビジネス」がリクルートの特集記事を組み、「財界」が「丸ごと一冊リクルート」なる別冊を出版したりと、まさにわが世の春を謳歌していた時代でもありました。

 まだ世間のことがわかっていなかった私は、この会社は本当に世界制覇するのではないかと思っていた反面、ちょっとした嫌な感じを持っていました。結果よければすべてよしという姿勢と、何かあるとすべてをお金に換算して分配する拝金主義に嫌気がさしていたのです。

 そんなリクルートが大きな挫折を経験したのが、88年の春に起こったリクルート事件でした。値上がり確実と目された関係会社の未公開株を、有力な政治家、官僚、財界人に配ったことが発覚し、日本中が大騒ぎになったのです。そして、一部の政治家、官僚、江副氏や元の上司であった社長室長などが逮捕されてしまいました。その後の1年間というものは、毎日毎日、新聞やテレビで何かが報道される日々で、毎日、針の筵のような、それでいてエキサイティングな日々でした。

 この連載では不祥事を9つに分類していますが、その中でいえば、リクルート事件は政治と癒着した企業というところに入ります。この事件は、新進気鋭の企業が一流企業になる通過儀礼として、お世話になった方たちに多量の未公開株を持ってもらい、政治家や官庁トップに渡った一部が、権限の見返りを求めた受託収賄罪になるかどうかが問われたものでした。

 ただ、未公開株を購入してもらう行為は、当時の財界では慣習として普通に行われていた行為であり、一般の新聞にあっても、経済部の記者は誰も問題にしなかったことが、最近明らかにされています(「季刊コンプライアンス05年冬号36ページ」)。この観点に立てば、グレーゾーンを攻めたつもりがクロになった企業の分類に該当させることもできるかもしれません。