IT革命という言葉が新聞に踊っている。この言葉の根底にあるのは,「ビジネス構造を根本的に見直し,変革していかなければならない」ということだ。ITの進歩は社会を動かす大きな波である。その波を利用して浮上し,なおかつ波に乗りつづけて他を引き離すためには,大きな波をかぶっても壊れないだけの構造が必要である。情報技術について全社員が知っている必要はないが,会社の行く先を提示するビジネス・モデルのあり方については,全社員が考えていなければならない。

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なる部分もありますが,この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

 製造業のS社では,トップの号令で「eビジネスの立ち上げ」に取り組むことになった。今まで綿々と続いてきた古い業態を打破し情報武装によって21世紀での生き残りをかけようという方針だ。社内に「eビジネス検討委員会」が結成され,責任者には情報システム部門長が任命された。実質的なリーダーには情報システム部門の課長クラスが就いて検討が始まった。

 委員会には主要部門から選任されたキーマンが参画することになったが,ほとんどの委員が情報システムについては素人だ。このため,eビジネスのプロトタイプをシステム部門が作ることになった。まずシステム化されていない業務やシステム化されていても改善の余地のある業務を全社的にリストアップした。それを元にして,BtoB(企業間電子商取引)モデルのプロトタイプ作りに着手した。

 最初に検討したのが受発注システムだ。提案のあった要件には以下のようなものがある。Web上で電子的に受注処理を行い,在庫検索も自動的に行う。在庫があれば出荷指示を発行して物流部門へ渡す。加工の依頼が必要なら,受注と同時に加工業者に発注して原材料出荷や副資材の購買も行う。加工業者には製品の入庫予定を電子的に入力してもらう。こうすることで,受注から出荷までのリードタイムを短縮できるし,受注時に在庫がなくても出荷予定を顧客に返答できる。

 これらをWeb上で実現するとなるとセキュリティの問題や情報のやりとりのルールなどの制約条件や,解決すべき課題が山積みだった。しかも現状システムとの整合性もとらねばならない。情報システム部門の担当者は土日も返上して検討作業に忙殺された。

革新性のない提案に社長が激怒

 ある程度までシステムの形が出来上がったので委員会の意見を聞くことになった。するとさまざまな問題点が露見した。まずすべての取引を電子的に行うためには,全部の取引先が情報化していなければならない。受注先はともかく加工依頼をしている取引先は規模も千差万別で従業員が10人に満たない会社さえある。1人1台どころか会社にパソコンが1台しかないことも珍しくない。そうした企業に,S社との取引のためにサーバーやパソコンを入れてくれというのはまず無理だ。

 かといって電子的な受発注に対応できないところは全部切ってしまうというのも現実的ではない。取引先の中には,他社にはまねのできない技術を持っているところがあるからだ。

 もともと新システムに対して懐疑的だった物流部も問題点を指摘してきた。「新システムでは,緊急出荷や時間外出荷には対応できない」というのだ。これまでも出荷依頼はシステムで処理されていたが,緊急の出荷や変更は電話で頼めたし,システム入力は後から行うことが多かった。今回のように「すべてのシステムが連携して動作するようになると,人手による介在はできない」という。

 生産本部も新システムに対して消極的だった。「生産計画は12カ月,6カ月,3カ月および1カ月ごとに見直して,予算とのバランスや原材料の調達状況などの要素を加味しながら策定している。急に生産依頼が入ったからといって,自動的に受け入れることはできない」と強く反対した。

 委員会では,問題点の解決策について議論が続いた。その結果,各業務のキーマンにそれぞれの部署としての解決策の提案を依頼した。約1カ月後になって各部署からの解決策が集まった。いずれも煮詰まったものではなかったが,取締役会での報告が近づいていたので,委員会で何とか取りまとめることにした。

 ところが取締役会で社長から思いも寄らないコメントがなされた。「今の説明は情報システム化計画だ。私はeビジネスの検討をしてほしいと言ったはずだ。今後のビジネスを顧客中心にするなら,在庫情報や生産計画,出荷予定までのすべてを顧客がWebから見られるようにするくらいの発想が必要だ」という。さらに「できるかできないかの議論ではない。何をしなければならないのかという発想で検討しなければ意味がない。こんな計画では,到底eビジネスなど成功するわけがない。検討メンバーの人選まで含めてもう一度やり直せ」と厳命されて,全面的に差し戻しになってしまった。