1968年に、生産ラインのスピードを向上させるためのプログラム言語を書くプログラマーとしてデュポンに入社した。当社はかなり以前からコンピュータ、ひいてはIT(情報技術)と親和性の高い企業で、パソコンは80年代から使い始めた。今日、たとえ1ドルたりとも情報システムが関係しない収入はあり得ないという時代になった。

ロバート・R・ライドアウト氏
ロバート・R・ライドアウト氏
フランスから米国への移民だったエルテール・デュポン氏が火薬工場として、1802年にデュポンを米国で創業。ナイロンやテフロンをはじめとした素材技術で躍進。月に人類を送る「アポロ計画」などにも関与。2006年度の売上高は274億ドル、純利益は31億4800万ドル。社員6万人。本社はデラウェア州ウィルミントン

 97年にCIO(最高情報責任者)になってから、いくつもの困難を乗り越えてきた。この年、CEO(最高経営責任者)に就任したチャールズ・ホリデーが「デュポンは化学・エネルギー企業から総合サイエンスメーカーに転身する」という経営方針を打ち出した。そこで、当社として初めてのアウトソーシングを経営陣に提案し、実施した。当時のIT部門には4500人の社員がいたが、アウトソーシング先への移籍によって3000人の人員削減を行い、現在ではIT部門のスタッフは世界で1200人に抑えている。全世界に12カ所あったコンピュータEセンターも3つに絞った。たいへん痛みを伴う仕事だったが、ビジネスが変化するのに伴い、ハードウエアと人員が柔軟に対応する必要があった。しかも、コスト削減につながらなくてはならない。ホリデーCEOの方針は見事に会社の成長につながり、IT部門としても正しい決断を下したと思う。

 コンピュータの2000年問題も記憶に鮮明に残っている。世界70カ国に20もの事業を展開するため、プログラムを慎重に書き換えたが、夜も眠れなかった。その直後に、全世界のビジネス・ソフトウエアを独SAP製品に統一した。デュポンでは1990年代半ばには、どの事業も米国内にとどまらずグローバル展開していたが、ビジネス・ソフトはばらばらだった。戦略的に事業を運営するには将来それが障害になると思い、2000年からSAPに統一したのだ。これによって、20事業のどれもが「持続性」と「ベストなソリューション」を得られるようになった。現在当社の戦略の1つに「ザ・パワー・オブ・ワン・デュポン(1つに統合されたデュポンの力で)」というのがあり、これをIT面で実現するうえで重要な土台を築くことになった。

 情報システムのグローバル化がなぜそこまで重要なのか。ITの役割が「ビジネスをグローバルに継続し、結び付け合うもの」だからだ。

過去の失敗から学んできた

 CIOとして直面している問題が2つある。

 1つは、ビジネスが刻々と変化するため、常に新しい技術やシステムを取り入れていかなくてはならないことだ。しかも失敗は許されず、導入した当初から正しく機能するのが当たり前であるばかりか、ビジネスに変化と成果をもたらさなくてはならない。

 もう1つはバランスだ。「最先端の技術」と「セキュリティー」と「ユーザー・フレンドリー」がうまく組み合わされていないと、完全とはいえない。CIOにとって脅威なのは、人に受け入れられなければ使い物にならないということだ。

 この2つの問題に20の事業部門で常時対峙していることになる。こうしたことを言うのはたやすいが、これは過去の失敗から学んできたことでもある。

 これらの問題を克服したうえで、CIOとIT部門が達成するべき目標は、ITを使ってビジネスを成功に導くことだ。私は、チャンスを逃さずに協力して変化を巻き起こすことを、ITスタッフに要求している。しかし、事業部門ごと、業務ごとにITスタッフに求められる能力は異なる。

 当社の製品は、住宅・建築から通信、栄養食品、農業、エレクトロニクス、自動車関連など多岐にわたる。そこで、20の事業部門ごとに配属しているIT リーダーは、ITの技術的な側面に深い理解があるだけでなく、生産、サプライチェーン、マーケティング、カスタマーサービスなどにも精通していることが必要だ。逆に、セキュリティーを担当しているITリーダーには技術面の知識を優先させ、ビジネスの知識は二の次でもいいと思っている。

 「安全・衛生・環境に配慮し、高い倫理基準に基づき、社員の人格・能力を尊重する」という創業当時からの経営理念は、ITを正しくビジネスに結び付ける重要な理念でもある。

 なぜなら、過去15年ぐらいの間は、ITこそが、安全・衛生・環境面への全社的な取り組みを、私たちの人材に結び付ける道具になっているからだ。ITがしっかりしていなければ、当社の経営理念は実践できない。

ロバート・R・ライドアウト氏 米デュポン副社長 兼 CIO
米国バージニア州出身。1968年にデュポンに入社。生産現場の技術担当、営業、カスタマーサービスなどを経て、97年から現職。米IBM、米 AT&T、米マイクロソフトなどのアドバイザリーボードのメンバーでもある。大規模な多国籍企業のCIOしか加入できないリサーチ・ボードの会員。