1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,2007年に至るまでの生活を振り返って,週2回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 最近大きな仕事が来ない。世は不景気だというが,少なくとも私の場合は,景気のせいばかりにする気になれない。独立して3年,いろいろな方のご厚意で仕事をいただいてきたが,必ずしもすべてで満足できる成果を上げられたわけではない。今のような状況になると,あれはもう少し何とかならなかったのか,とか,もう少し誠意を尽くすべきではなかったのか,などと悔やむばかりだ。会社勤めの頃は,こういう状態を冗談半分に「農閑期」と呼んでいた。そう,会社勤めなら,重要な仕事があってもなくても,とりあえず出勤はせねばなるまい。しかし,こちとら独り身である。日がな遊んでいようが寝ていようが,とがめる者はいない。後になって自分が困るだけである。

 仕方がないので,来るべき日に備えて自己研さんにはげんでみる。最近のテーマはサーバーサイドJavaだ。今までJavaを使った仕事はなかったが,この機会に制覇しておこうと考えているのだ。しかし,目的のない自己研さんほど張り合いのないものはない。いつしかギブアップして,気分転換を言いわけに,ふらふらと散歩に出てしまう。時計を見ると14時。やっとお昼を過ぎたばかりである。

 散歩のコースが決まっているわけではない。しかし,なぜか足は自然に池袋駅方面へと向かう。顔見知り(というより一方的に顔を覚えられてしまっただけなのだが)のブラックたちとあいさつを交わし,区役所裏の公園にたどりつく。缶コーヒーを手に周りの人を眺めていると,「殴られ屋・無料」と書いた看板を持ったおじさんが,金髪に染めた高校生ぐらいの男の子を連れて現れた。男の子はボクシングのグローブをはめ,おじさんはヘッドギアをしている。公園にいる人たちの視線が集まる。私は数名の友人に携帯でメールを送る。「殴られ屋だってさ。なんだろうねえ」。

 おじさんが持ってきたラジカセのスイッチを入れると,口上が流れる。どうやら,殴られるほうがボコボコにされないようにルールが決めてあるようだ。ラジカセからゴングが鳴ると,男の子は待ってましたとばかりにグローブを振り回す。どうやらボクシングの心得はないようだ。一方おじさんは,前後左右に上体を反らせてパンチをよける。ここまできてやっとわかった。「殴ってよい」のではなく,「殴れるもんなら殴ってみろ」というわけだ。男の子が一発もパンチをお見舞いすることができないまま終了のゴングが鳴った。おじさんは公園を見渡して,観客に「はい。拍手ぅ」と両手を挙げる。パチパチとまばらな拍手を受けると,看板を抱え,満足げにどこかへ消えていった。

 突然,隣に座っていたおじさんが「イチゴいっしょに食わんか?」と話し掛けてきた。見ると手にイチゴのパックを持っている。しかし,正直言ってあまり清潔そうな人ではない。このフレンドリーさはなんだろう。公園在住の仲間だと思われたのだろうか。いろいろと考えていると,さらに話し掛けてくる。「ほら,パックに入ってるし,別に汚くねえから。いま洗ってきたばかりだから。ほら。ティッシュもあるから。ひとつつまめや」。濡れたティッシュがイチゴに張り付いた様子が,かえって汚く見える。この公園に水飲み場はない。あそこの公衆トイレの水道で洗ってきたのではないだろうか。「いえ,結構です」と,20秒ほど遠慮がちに押し問答したあげく,気まずくなった私は場所を変えることにした。おじさん,ごめんなさい。本当はイチゴ,大好物なんです。

 少し日が傾いてきた。意味もなく銀行に寄って,増えているはずのない残高を確認して外に出ると,知人から電話がかかってきた。「なにフラフラしてんのよー」。あわてて見まわすとこっちを向いて手を振っている。「トモダチと買い物してるんだけどぉ。ケンタ入ろうとしたら見かけたからさぁ」。そういえば私も昼ごはんがまだである。遅いランチを共にすることになった。トモダチの左手首の立派なタトゥーが目に入る。「この子ねえ,五反田で女王様やってたんだって」。「最近はね,真性の女王様ってなかなか客がつかないんだ。バブルのころが一番よかったかな」と言いつつ,アルバイト誌を取り出す。「できれば今から電話して面接行きたいんだけど,ここからじゃまずいよね」と言うので,つい「カラオケでどうよ?」と提案したのが運の尽き。私のおごりでカラオケに行くことになってしまった。

 部屋に入るなり,私はアルバイト誌とボールペンを渡されて,条件の該当する広告にマルを付ける役目をおおせつかった。さすがは元女王様である。ふたりは私がマルをつけた広告に次々と電話をかける。30分でギブアップしたのは元女王様である。もう一人は2件ほど面接をゲットしたが,今日ではないらしい。結局3人ともカラオケに突入し,店を出たのは2時間ほど過ぎてからだった。

 テンションの高い二人の相手をしたので,おじさんはちょっと疲れてしまった。贅沢ではあるが,タクシーで帰ろう。どうせワンカウントだ。タクシーに乗り込むと,今度は別の知人から電話。「いまタクシー乗ったでしょ。どこ行くの? 家に帰るの? 歩けばいいじゃん。ほんと浪費家なんだから」。まったく何という日だろう。しかし,今度はつかまるわけにはいかない。適当に電話の相手をしながら,タクシーの運転手にあわてて行き先を告げる。時計は18時をまわっている。仕事が終わった人たちが繁華街に繰り出す時間だ。スーツ姿の人たちの解放感にあふれた表情を眺めながら,「ああ,オレは今日は収入ゼロなんだよな」という考えが頭をよぎる。せめてもの救いは,会社をサボったときのような罪悪感がないことか。ちょっとせつない初夏の夕暮れである。