これまでいろいろなレビューを実施したり,立ち会ったりしてきたが,最も強烈に印象に残っているのはある建築設計事務所でのレビューである。世界的に有名な建築家A先生の設計事務所が,海外の大規模なコンペに参加したときのことだ。

 そのコンペの実施要綱にITに関する提案も含めるようにと指示があった。ある縁で,筆者がそのIT部分の提案内容の作成を引き受けることになった。提案作成プロジェクト・チームは,設計事務所のプロジェクト・マネージャと4人のアーキテクト,筆者ら外部スタッフという構成である。巨匠A先生の創作するイメージをプロジェクト・マネージャがチームを動かして具体化していった。

 IT業界も最近は新たな3K業種などと言われ,労働環境の厳しさが問題となっているが,建築設計事務所の労働の厳しさもまた凄まじい。特にこの巨匠が率いる設計事務所は完全主義が徹底しており,提案書に載せる図面やパース(完成予想図)のチェックも厳しい。ちょっとした変更でも複数のパターンを作成して比較検討するので,時間がいくらあっても足りない。ましてや海外の大規模コンペとなると競合相手も世界的な大物建築家なので,勝つためには一切の妥協は許されない。そんな痺れるような状況にもかかわらず,スタッフの面々が黙々と作業をこなしていく姿はさすがであった。

 プロジェクトが中盤に差し掛かるころ,A先生がレビューを実施するとの連絡があった。当日,部屋に入って驚いた。壁にはA3サイズの提案資料が数十枚,びっしりと貼られていた。一覧で全体が確認できるようになっているのだ。また,A先生の席には今回レビューする提案書のほかに白紙の束と鉛筆,48色の色鉛筆,油性ペン,蛍光ペンなど筆記用具が整然と並べられていた。ほかにも大型サイズのパースや模型,外壁などの素材がずらりと並べられていた。

 感心して眺めているとプロジェクト・マネージャが言いにくそうに「ウチの事務所では先生以外は立ったままレビューを受けるのが習慣なのです。永井さんは外部のメンバーなので座ってもらって結構ですが,もしできれば…」と言う。つまり,筆者も立ったままレビューを受けてくれないかとの打診であった。徒弟制度の名残かと驚くと同時に,面白そうだと感じたので筆者も立っていることにした。

 やがて,A先生登場。さすがに巨匠と言われるだけあって,何とも言えぬ風格がある。あたりをジロリと見回してレビューが始まった。プロジェクト・マネージャが提案内容を説明していく。「これじゃ,私の意図が全然伝わっていない!」「君たちは私のデザインを台無しにしたいのか!」といった巨匠の容赦ないチェックが入る。同時に「これは良い,前よりずっと良くなった」「ここはもう少しこうしなさい」と色鉛筆で書き込みを入れてのフォローも欠かさない。

 一通り説明が終わると,壁に貼ってある提案書をざっと見渡し,おもむろに太い赤ペンでダメなパートに×を付けていく。「これはダメ,これもダメダメ!」とものすごいスピードである。数十枚に10分もかからない。半分以上のパートに×がつけられ,レビューが終了した。

 これは厳しい結果だな,スタッフはボロボロだろうと同情してプロジェクト・マネージャに話しかけると「初回レビューでこれなら相当に良いほうです。ダメなときは先生は怒って途中で退席です。この案件は勝てそうですよ」と嬉しそうな顔をしていた。後日,このコンペは見事に勝利したのであった。

 他業種のケースとはいえ,このレビューの姿勢はIT業界も参考にすべきである。レビューの準備は周到であるべきこと。コンペに勝つためには妥協せず徹底的にレビューして提案をブラッシュアップさせること。巨匠も陰ではすごい努力をしているのである。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長,NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て,ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画,96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング, RFP作成支援などを手掛ける。著書に「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)