少々古い話になるが,筆者が初めてシステム障害の現場を経験したときの話を紹介したい。日本IBM入社2年目。OJTを兼ねた小さなプロジェクトをいくつか経て,いよいよ担当顧客に常駐するSEとしてスタートを切ったときのことだ。顧客はある地方銀行。先輩のSE2人と筆者の3人で常駐サポートを行う体制だった。

 アサインされて3日目のこと。たまたま先輩のSE2人がミーティングで自社に戻っており,筆者は1人,留守番をしていた。引き継ぎも途中だったため,会議資料や週報などを閲覧して現場の環境を理解しようとしていた時期である。

 50人くらいいた顧客のシステム部の方々の顔と名前も覚えきれず,話しかける前に座席表でいちいち確認していたことを思い出す。顧客の方も右も左も分からない若手が来た,といった感じでまだまだお互いに馴染んでいなかった。

 午後のけだるい時間帯。少し眠気を感じながら資料を読んでいると,周りがザワザワし始めた。何か変な気配だなと周囲を見回すと,管理職らがシステム部長の席に集まり始めていた。ザワザワしてから1分程度であったか,部長席から「勘定系オンライン障害発生!」という大声があがった。数人のプロパーSEがすごいスピードでエレベータのある廊下に駆け出していった。マシンルームは道路一本隔てた別棟にあるので,そちらに向かったのだ。

 筆者は状況を飲み込めずに「オンラインダウンってかなりやばいよな!?」と思ったが,何をしてよいか瞬時に判断できず,固まっていた。すると近くにいたプロパーの女性が「IBMさん,すぐ会社に連絡して!」と指示をくれた。慌てて電話をすると担当営業の先輩が出た。「オンラインダウンが発生したみたいです」と報告すると,担当営業は2,3の質問を素早く筆者にしたが,筆者は何も答えられない。「バカヤロー!すぐ行くから少しでも状況を把握しておけ!!」と怒鳴られた。しかし,何をしたらよいのか全く分からない。見渡すとプロパーの主だった人たちが誰もいなかった。皆,マシンルームに行ったのだ。筆者も,一目散にマシンルームに走った。

 マシンルームでは顧客の幹部らが険しい顔で議論していた。当時,その銀行のシステムにホット・スタンバイの機能はなく,本番機を再起動するか,開発機を代替機として使うかどちらかの選択を迫られていた。筆者が入室しても誰も見向きもしない。何の役にも立たないことが分かっているのだ。状況把握を命じられてはいたが,とても話しかけられる雰囲気ではない。漏れてくる会話の内容を聞き取とろうとするのが精いっぱいだった。時間の経過につれて大変な障害であることを実感し,緊張感で喉がカラカラになった。

 代替機による稼働を決定し,作業に入り始めたとき,先輩SE2人と担当営業が到着した。先輩SEが入室すると,雰囲気がガラッと変わった。頼りになるプロがようやく来た,待ってました!という感じで,状況説明と今後のアクションについて議論が始まったのである。会話の内容は断片的にしか理解できなかったが,先輩SEの登場は本当に頼もしく「助かった」というのが筆者の正直な気持ちであった。SEとはどうあるべきかを目の当たりにし,自分の未熟さを感じた体験であった。

 その後,担当営業からは報告がなっていないと手厳しく叱られたが,先輩SEからは「大変だったな,いい経験したな」という言葉をかけられた。営業とSE の立場の違い,役割の違いがこのことで明確に理解できた。営業は顧客との窓口であり,会社としての対応を考えなければならない。SEはトラブル対応の作業者として顧客と一緒に問題解決に取り組む存在だ。

 この現場3日目のトラブル経験こそ,筆者のSEとしての,そして現在のコンサルタントとしての本当の意味でのスタートラインだったと思っている。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長,NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て,ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画,96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング, RFP作成支援などを手掛ける。著書に「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)