第14回で,個人のプライバシ侵害について取り上げた。しかし,社内メールの利用に関しては,社員のプライバシはある程度制限を受ける。その法的根拠を説明する。

 1999年12月に,ビジネス情報の提供などを手掛ける日経QUICK情報のある社員宛てに,その社員を誹謗中傷するメールが複数回にわたって送られてきた。そのメールの発信者の名前は,日経QUICK情報の親会社である日本経済新聞社の部長名だった。

 被害者の苦情申し立てにもとづいて日経QUICK情報が調査したところ,同社のある社員のパソコンと営業部共用パソコンの使用状況から,その社員が発信者である可能性が高いという結論になった。しかし,同社の事情聴取に対して,その社員はメールの発信を否認した。

 そこで,念のためメールサーバーを調査すると,誹謗中傷メール自体は発見されなかったが,その社員の私用メールが多数見つかった。これを受けて,同社がその社員を再度事情聴取すると,私用メールの使用については認めたものの,誹謗中傷メールの発信についてはやはり否定した。

 事情聴取の翌日,その社員は約1カ月半後に退職する旨の退職願いを会社に提出。同じ日に,同社は「私用メールは就業規則で定められた会社資産の不当利用に該当する」としてその社員を譴責処分に付した。

 退職した元社員は,「メールサーバーの調査は名誉権,人格権,プライバシの権利(個人情報をコントロールする権利)を侵害する不法行為」,「脅迫的に退職を迫られたため精神的に大きな苦痛をこうむった」などと主張して,日経QUICK情報および事情聴取を担当した役職者4名を相手取って慰藉料500万円,弁護士費用50万円の支払いを求める訴訟を起こした。

 東京地方裁判所は,私用メールの調査と譴責処分の適法性について,次のように判示した。

(1)日経QUICK情報には当時,私用メールに関する社内規定はなかったが,「誹謗中傷メールを元社員が発信した」という合理的な疑いがあったので,メールを調査する業務上の必要があった。

(2)私用メールは職務専念義務に違反し,かつ会社施設を私用に利用するものであって企業秩序に反する行為である。

(3)企業が所有管理するメールサーバーの調査は,社会的に許容しうるものであって,社員の精神的自由を侵害した違法な行為とは言えない。

(4)調査を社員に事前に告知しなかったことも,告知による調査妨害の恐れを考えると,不当とは言えない。

図1●日経QUICK情報事件で,処分の根拠となった就業規則の条項
図1●日経QUICK情報事件で,処分の根拠となった就業規則の条項

(5)原告の私用メールの量は無視できないものであって,仕事の合間に行ったという程度のものではないため,就業規則29条2号,3号(図1)に違反しており,十分に譴責処分の対象となる。

 こうした判断に基づき,東京地方裁判所はこの社員の請求をすべて棄却した。(東京地方裁判所2002年2月26日判決,労働判例825号50頁)

 電子メールによるコミュニケーションは極めて日常的なものとなっている。電子メールなしには,もはや日常業務が成り立たないほどである。しかしその一方で,第17回で説明した迷惑メールや個人への誹謗中傷メール,業務中の私用メールの利用といった問題が発生している。

 では,社員の私用メールの利用などを調べるために,企業がメールサーバーに蓄積された電子メールを閲覧する行為(モニタリング)は,どこまで許されるのだろうか?今回はこの問題を解説しよう。

メールの利用は制限を受ける

 メールシステムなどの企業情報システムは,その企業の資産として,業務で利用することを目的に導入されている。さらに,社員と労働契約を結んだ時点で,企業側には社員に「誠実な労務の提供」を求める権利がある。

 こう考えれば,企業が保有するメールシステムを使った社内メールの利用が一定の制約を受けることは当然と言える。例えば,私用メールを禁止する社内規定がある場合は,社員はそれに従わなければならないし,私用メールを禁止する規定がない場合でも,行き過ぎた私用メールの利用は「会社資産の不当利用」に当たり,「職務専念義務」にも反するので,明確な違法行為である。

 行き過ぎた私用メールなどの違法行為があれば,企業側はそれを調べる権利がある。つまり,企業による電子メールのモニタリングは合法と言えるのである。こうした判断を示した初めての判例が,冒頭で紹介した日経QUICK情報事件だ。米国の同様な事件でも,「企業による社内メールのモニタリングは,原則として適法」とする判例が多い。

モニタリングの指針

 読者の中には,「社員のプライバシは守られないのか」と,冒頭の判例に疑問を抱く人もいるかもしれない。2003年に個人情報の保護を目的とする「個人情報保護法」が制定されたことからも,これは当然の疑問と言える。しかし,個人情報保護法は,個人のプライバシ情報の扱い方を定めた法律であり,社員の個人情報を保護する規定は設けていない。

 とはいえ,企業が理由もなく勝手に社員のメールを監視してよい,というわけではない。社員のプライバシへの配慮が必要なことは言うまでもない。では,どんなときにメールのモニタリングが許されるのか。

 この点で参考になるのが,労働省(現・厚生労働省)が2000年12月20日に発表した「労働者の個人情報保護に関する行動指針」)である。この指針は,企業が保有する社員の個人情報の適正な処理方法を定めたもので,コンピュータを使った社員のモニタリングに関する指針も示している(図2)。

図2●厚生労働省が定めた社員のモニタリングに関する指針(一部)
図2●厚生労働省が定めた社員のモニタリングに関する指針(一部)
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 もちろん,無用なトラブルを防ぐため,企業側は明確な社内規定を作成しておくべきだ。少なくとも,「メールをモニタリングすることがある」ことは社員に知らせておくべきだろう。

辛島 睦 弁護士
1939年生まれ。61年東京大学法学部卒業。65年弁護士登録。74年から日本アイ・ビー・エムで社内弁護士として勤務。94年から99年まで同社法務・知的所有権担当取締役。現在は森・濱田松本法律事務所に所属。法とコンピュータ学会理事