現在,多くの金融機関や大手IT企業などが,ノート・パソコン(ノートPC)の外部への持ち出しを禁止している。外出時にノートPCを業務で使えないのは不便だが,ノートPCの紛失による情報漏えい事故が多発しており,やむを得ない措置と言える。しかし,3.5GサービスによってノートPCは形態を変え,再び外出時の業務端末として活用できるようになりそうだ。

 企業向けの観点からは二つのポイントがある。一つは3.5Gサービスを使ったノートPCを端末に使う「モバイル・シン・クライアント」。もう一つは通信モジュールを内蔵するノートPC(図1)。いずれもノートPCからの情報漏えい対策や遠隔管理などの目的で期待が高まる。

図1●3.5G通信モジュール内蔵のノートPCは遠隔管理やシン・クライアントなど,さまざまな用途での利用が期待できる
図1●3.5G通信モジュール内蔵のノートPCは遠隔管理やシン・クライアントなど,さまざまな用途での利用が期待できる
写真はエリクソンのHSPA通信モジュール。なお,通信モジュールの多くはGPS機能も持つ。
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 既に3.5Gサービスを使うモバイル・シン・クライアントが企業で利用され始めている。イー・モバイルの鎌田浩彰 営業本部法人営業部長によると,「把握しているだけでもイー・モバイルのHSDPAと組み合わせてシン・クライアントを導入する企業が5~6社はある」という。例えば,日本総研ソリューションズは3月からイー・モバイルのサービス経由でシン・クライアントを導入した。7月には400ユーザー規模になる。

HSDPAが実現した携帯型シン・クライアント

 HSDPAサービスなどのブロードバンド環境が利用できる場所であれば,モバイル・シン・クライアントはどこででも使える。万が一,端末を紛失したとしても,データはすべてサーバー側にあるので,情報漏えいは起こらない。ノートPCの利便性と情報漏えい対策を両立したシステムと言える。

 モバイル・シン・クライアントは,定額かつ1Mビット/秒以上の実効速度を期待できるからこそ可能になった。シン・クライアントはサーバーとクライアントの間で画面イメージの転送といったデータ通信を常時行う。低速でも利用はできるが,ストレスなく使うには500k~800kビット/秒の安定的な帯域は欲しいところだ。これまでのモバイル・データ通信サービスではこの速度の実現が難しかった。

ノートPCの遠隔管理に3.5G活用

 3.5G通信モジュールを内蔵するノートPCも可能性が大きい。携帯電話網を使う遠隔管理といったシステムを実現できそうだからだ。これらは既にBlackBerryなどのスマートフォンでは当たり前の機能。ノートPC紛失時に遠隔操作でハード・ディスクやSSDに保存されたデータを消去できれば,情報漏えい対策になる。内蔵通信モジュールであれば取り外せないので,常時,遠隔管理の対象にできる。KDDIの増田正彦FMC営業本部モジュール営業開発部長は,「まだ具体的に話せる段階ではないが,そういうニーズは十分に理解している」という。

 通信モジュール内蔵ノートPCもワイヤレス・ルーターと同様,以前からPHSを使う製品はあった。だが,帯域の狭さからあまり一般的にはならなかった。しかし,ここでも3.5Gサービスのスピードが状況を変えた。昨年夏ころから通信モジュールを内蔵する製品の発売が相次いでいる。NTTドコモの定額HSDPAに対応するソニーの「VAIO type T」や,KDDIの定額CDMA 1X WINに対応するレノボ・ジャパンの「ThinkPad X61」などだ。東芝も3月17日に通信モジュールを内蔵し,定額CDMA 1X WINに対応する「dynabook SS RX1」を発表している。

 海外でも同様の動きがある。HSPA通信モジュールを開発するスウェーデンのエリクソンは2月に米レノボと提携。ノートPCへの通信モジュールの内蔵を世界的な規模で進めている。「2011年には発売されるノート・パソコンのうち50%がHSPA通信モジュールを搭載しているだろう」(日本エリクソンの山本一成 ネットワークス本部端末担当主幹)。エリクソンのモジュールを搭載するレノボの製品は2008年中には発売になる予定だ。

これからも高速化するモバイル・データ通信

 3.5Gサービスのユーザーが増加すれば,携帯電話網の帯域が逼迫(ひっぱく)し,実効速度が低下するのでは──。このような懸念を持っているとしたら,それは杞憂(きゆう)かもしれない。モバイル・データ通信は今後も,高速化するからだ。

 まず,現行のHSDPAサービスはまだスピードアップの余地がある。イー・モバイルやNTTドコモは下り最大3.6Mビット/秒や7.2Mビット/秒でサービスを提供しているが,HSDPAは仕様上,下り最大14.4Mビット/秒まで高速化できる。

 もっとも仕様上の理論値と,実効速度は異なる。理論値がいくら速くても実際の速度が遅ければ誇大広告のようなもの。この点に関して日本エリクソンの山本氏は,「『GRAKE2』(ジーレイク)という受信ダイバーシティ技術を使えば,実効速度を大幅に高められる。7.2Mのサービスなら下り最大7Mビット/秒近くの実効速度を得られる」と説明する。

 HSDPAや今後登場するHSPA Evolutionなど3GPP(W-CDMA)系の技術は,下り最大100Mビット/秒以上のLTEまでロードマップが見えている(図A)。HD画質の動画をモバイル・データ通信でやり取りすることも,夢ではなくなるだろう。

図A●今後もモバイル・データ通信の高速化は急激に進む
図A●今後もモバイル・データ通信の高速化は急激に進む
下り最大100Mビット/秒のLTEなどが,実用化の視野に入ってきた。
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