IT業界が就職先として不人気と言われて久しい。しかし一方で,スターとでも呼ぶべき個人のIT技術者がこれほど登場した時代はこれまでなかったのではないか。IT Watcher執筆陣の1人でもある小飼弾氏の著書「アルファギークに逢ってきた」を読み,改めてその思いを強くした。

「世界を良い方向に変える」技術者たち

 この本には,はてな社長の近藤淳也氏,CTOの伊藤直也氏,オープンソースJ2EEフレームワーク Seasar2の作者ひがやすを氏,オープンソースの全文検索ソフトnamazuなどの開発で知られる高林哲氏,PalmscapeやJapanizeの作者であるサイボウズ・ラボの奥一穂氏といった,広く普及したソフトウエアやサービスの作者たちが登場する。海外からはPerlの作者Larry WallやRuby on Railsの作者David Heinemeier Hansson氏,Twitterの創業者Evan Williams氏。

 こういった広く使われるソフトウエアやサービスを開発した技術と,小飼弾氏の対談をまとめたのが本書だ。ギークとは「一言で言うとバカ」(小飼氏)。ただし,ここで用いられるギークとはコンピュータやインターネットに関する深い知識を持った技術者への尊称だ。「なぜ『ただのバカ』だった『ギーク』が『尊敬すべきバカ』に変わったのか。それはギークたちが世界を少しずつ,しかし確実に良い方向に変えてきたからです。世間の無理解もなんのその,ひたすら好きを貫いて正しいと信じる道を往く。それがギークたちです」(小飼氏)。

 そして,アルファとは動物行動学の用語で群れのリーダーとなる個体を指す。すなわちアルファギークとは,ネットとソフトの進化を先導する技術者たちだ。小飼氏自身,Perlの多言語モジュールEncode.pmの作者であるオープンソース・プログラマであり,まぎれもないアルファギークのひとりであり,その兄貴分である。

 「多くの人が同時に同じことを思いついていたとしても,行動を起こした方に情報はついてくる」(はてな近藤氏)。「単純に誰かが欲しいというものを入れていくだけじゃごった煮で絶対によいものはできない。その根底にあるニーズは何だろうと考える」(ひが氏)。「ハッカーとして一番重要な技能は『粘り強さ』。『深追い』って言ってるんですけど,わかるまで調べる」(高林氏)。「アルファギークに逢ってきた」にはアルファギークたちの印象深い言葉が並ぶ。

 15歳で大検に合格して17歳でカリフォルニア大学バークレー校に留学。実家が火事で全焼したため中退して日本に戻り会社を設立,オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)にCTOとして加わった小飼氏のジェットコースターのような半生についても語られている。

個人で作り,直接ユーザーに届けることができる時代

 なぜこのような「世界を変える技術者」が続々と登場してきたのか。その背景には,オープンソース・ソフトウエアやネット上のWebサービスを組み合わせるマッシュアップを活用することで,かつては大組織でなくては作れなかった大きなソフトウエアやWebサービスを個人が作れるようになったことがある。そして,インターネットにより,流通や営業を通さず,技術者個人がダイレクトにユーザーに届けることができる。

 以前「プログラマがSEやコンサルタントへの単なる通過点で,安くあげるために中国やインドにアウトソーシングされる存在だった理由はプログラマに創造性が要求されなかったからだ」と書いたことがある(関連記事)。創意は要求されず,仕様書をプログラムに翻訳するだけなら,コストは絞るだけ絞ることが正しい経営のあり方だ。

 しかし今挙げた技術者たちは,プログラミングにより新しいものを創造し,ネットを通じて多くの人に届けることで,世界をより便利なものに,あるいは楽しいものに変えた。新しい価値を創り出した。無償で利用できるオープンソース・ソフトウエアであっても,システムの基盤となり,情報システムの生産性を高めることで,巨大な経済的価値を生んでいると言える。

 だがプログラマのツールとなるソフトウエアはともかく,一般ユーザーが使うソフトウエアやサービスなら,アイデアを出すのは別に技術者ではなくともいいはずだ。プロデュースする人間がプログラマにアイデアを伝えそれを実装すればよい。

 そのとおり。実際に創業者のアイデアを別のプログラマが実装した例もある。しかし,Googleやはてなではプログラマが自らの手でアイデアを実装するケースが多い。なぜなのだろう。

 その理由は,技術が猛スピードで進化しているから,そして,ユーザーとの対話の中で猛スピードで改良していけるものだけが生き残るからではないか。記者はそう考えている。先週には事実上不可能だったことが,今週には現実的な選択肢になる,その中で新しいものを構想していくには技術者は有利なポジションにいる。少なくとも技術に精通していることは欠かせない。そして高速でソフトウエアやサービスを進化させていくにも,プロデューサとプログラマが同一人物であることは有利だ。技術が進歩し続ける限り,そしてその進歩が急激であればあるほど,この傾向は強まるだろう。

発信し自立する技術者がSI業界も変える

 はてなやGoogleのような独自のソフトやサービスを開発する企業と,いわゆるシステムインテグレーション系の企業は違う,という指摘は全くその通りだ。しかし,両者で使われている技術がそれほど違うわけではない。企業システムでもWebシステムは標準的になっているし,Linuxなどのオープンソース・ソフトウエアも当たり前のように使われるようになっている。

 彼らアルファギークの存在が,IT技術者に自信と地位向上のきっかけをもたらし,システムインテグレーションや組み込み系を含むIT業界全体をよい方向に変えていくものであってほしい。システムインテグレーションにも技術者が創造性を発揮すべき局面はあふれている。ひがやすを氏は本業で金融システムを中心にシステムインテグレーションを手がけてきており「プログラマが残業しなくとも済むように」,生産性を向上させるSeasar2を開発したという。Seasar開発のきっかけを作った羽生章洋氏が代表取締役兼CEOを務めるスターロジックは,ユーザーがシステムの仕様を自ら書くことができるツール「マジカ」などを開発し無償公開している。「これからは下請け構造ではなく,個々の強みを生かすネットワーク型になる」,「自分が不要になるような技術を作れ。それを最高値で売って次に行け」と小飼氏は発破をかける。

 ノウハウや自作のソフトを発信することで他人をハッピーにして,同時に自分の技術力を証明する術を身に着けた技術者が増えてくれば,IT業界は変わっていくのではないかと筆者は感じている。自ら発信し自分の力を証明できる技術者は,人をコストとしてしか見ず,使い捨てにする企業にはすぐに見切りをつけるだろう。

 そして日経BP社も,IT業界をより良いものに,IT技術者がよりハッピーになるためのお手伝いをしたい。そのための取り組みの一つとして昨年,小飼氏にもご協力いただき,ITpro Challenge!というイベントを開催した。挑戦する技術者にそのチャレンジを語ってもらい,エンジニアに夢と目標と元気を持ってもらいたい。そんな思いから企画したイベントだ。

 昨年の第一回ははてなの伊藤氏,ドワンゴの戀塚昭彦氏,インフォテリアUSAの江島健太郎氏,Googleの鵜飼文敏氏をスピーカーに,小飼氏を総合司会に迎えた。今年もITpro Challenge!を開催するべく準備を進めている。今年も小飼氏に司会をお願いしたいと考えている。進展があり次第ITpro Challenge!のブログでご報告させていただく。よろしければ購読RSSフィードに加えていただければ幸甚である。