早稲田大学大学院
GITS客員准教授
境 真良

 NGNとは何か。この問いに,NTTは一貫して,QoSや回線認証を備えた高度なネットワークで,ハイビジョン級の映像配信などを可能にする安全安心なネットワークだと答えてきた。NGNは,この言葉通り,コンテンツ産業や関連するサービス産業に新たな発展をもたらす,大波を起こせるだろうか。

NGNは「成功する」か?

 まず,NGNが「成功する」とはどういうことだろうか?まずそれが「普及する」ことを意味するのは間違いないが,そうした視点から見れば,「フレッツ光ネクスト」を「フレッツ光」と同価か,あるいは安売りする戦略は的を射ているように思える。それだけでも,英BTほどではないにせよ,ネットワーク維持コストを低減できれば,NTTとしては一定の成果を上げたと言える。

 しかし,「成功する」ということが,「NTTのいうように映像配信サービスやその他の高度なサービスがNGNの上で花開く」ことを意味するのであれば,ユーザー数を伸ばしたとしても,それだけで成功とはいえない。

 多くのコンテンツ・プロバイダ,サービス・プロバイダをNGNに誘導するためには,多くのユーザーを獲得することはもちろんだが,QoS(サービス品質)や回線認証を十分安く提供することも必要になる。なぜなら,NGNの「特徴」とされる機能は,インターネット上のCDN(コンテンツ・デリバリ・ネットワーク)や端末認証サービスと競合するからだ。これは,そもそもNGNが最初からNNI(ネットワーク・ネットワーク・インタフェース)を通じてインターネットも接続するよう設計されていることからくる,論理的帰結である。

成功したが故の失敗

 コンテンツ(サービスもこの場合プログラム化されているので,コンテンツの一種だからこれに含める)は環境に依存する。プレーヤーソフトが使っている符号化方式が違えばコンテンツの共用はできないし,符号化方式が同じでも使用するDRM(デジタル著作権管理)が異なるだけで使えなくなる。プログラムという点では,利用者の使用する自然言語の違いなどの人間要素はもちろん,APIが違えば同じプロセッサを使っていてもプログラムは共用できない。同じハードウエアでも,Linux環境とWindows環境の間でソフトウエアは可搬ではない。

 NGNでは,このAPIをANI(アプリケーション・ネットワーク・インタフェース)と呼んでITU-T(国際連合 電気通信部門)で標準化を進めている。しかし,ITU-Tから具体的な提案はまだ現れず,コンテンツが各NGNの間で可搬性を実現できるだけの具体的なものを提案できるかどうかははっきりしない。ParlayグループはParlay-XというAPIのようなものをITU-Tとは独自に構築するとしているが,その提案もまだ公式には見えていない。

 しかし,標準化のできあがりを待たずにサービスインしているわけだから,標準ANIと現行のNTT-NGNが備えたANIがずれることはほぼ確実である。問題はどの程度のずれに収まるかだが,筆者は小さくないだろうと考えている。昨年,欧州でいくつかのキャリアと意見交換する機会があったが,一部には全くANIの構築や,他サービス事業者へのホスティングなどする気もないという事業者もいた。異なるANIが生まれるというだけでも問題なのに,そもそもANIを構築しない(ITU-Tの参照モデルとそこまで異なっていてNGNと呼べるかという疑念が生じるが,とりあえずそこには触れない)のでは,もはやコンテンツやサービスの可搬性など見果てぬ夢となる。

 日本でNGNが「普及する」という意味で成功した場合,日本の多くのコンテンツ・プロバイダやサービス・プロバイダは日本のNGNに束縛されたコンテンツ資産を積み上げていくことになる。それゆえ,海外の事業環境ではそれを展開できなくなる。

 これにはiモードがダブって見える。iモードが普及した日本では,多くのコンテンツが生まれ市場が潤った。しかし,その大半は海外に事業展開できず,国内市場だけに目を向けていたプロバイダは海外進出に出遅れたという「ガラパゴス現象」と同じ構図になっている。

コンテンツ産業にとってのプラットフォームの意味

 ガラパゴス現象はもちろんiモード固有の現象ではなく,コンテンツ産業には常につきまとう問題だ。その代表として,ドリームキャスト(DC)用のゲームであったファンタシースターオンライン(PSO)を挙げてよいだろう。

 98年に発売されたDCは,当初からインターネット機能を備えるという,家庭用ゲーム機としては意欲的なものであった。しかし,残念なことに,DCはプレイステーション2などとの競合に敗れ,2001年には市場から撤退する。

 PSOはそのDCの寿命が尽きる寸前に登場したコンテンツで,日本でもごく初期の本格的ネットワークゲームである。だが,その真価はむしろDCが市場から消え,PCを含む,DC以外のプラットフォームに移植された後,発揮された。

 その後の成功を考えれば,DCはPSOを生み出す最適な揺籃(ようらん)であったと同時に,その可能性を阻む大きな壁ともいえるものだった。PSOはDCという揺籃を振り捨てたからこそ成功したわけだが,それは理想的シナリオではない。理想的シナリオとは,DCが成功することで,プラットフォームを飛び越えるコスト無しに,成功を遂げるというモデルである。

ガラパゴス現象の原因

 すでに指摘したように,ITU-Tの標準ANIが見えないうちにサービスインしているだけで,NTT-NGNにガラパゴス的ANIが生まれることはほぼ確実である。だがそれ以上に,NTTが日本という物理的環境に中に閉じこめられた事業者だという点にガラパゴス現象が置きやすい原因がある。

 NTTにしてみれば,NGN事業のライバルは国内の他キャリアであり,また自分自身の古いサービスである。日本発の国際標準を実現したいという政治的願望を別にすれば,ガラパゴス現象は日本という市場を席巻できた賞賛でこそあれ,問題とは見えすらしない。

 ちょっと話がややこしいのは,NTT-NGNではANIはISPに任され,NTTはサーバーとネットワークの間(これをSNI,サーバー・ネットワーク・インタフェースという)までしか関知しないことになっているという事情だ。だからANIのことを論ずるならISPの話をすべきなのだが,ISPも基本的に国内に閉じているから,国際標準を実現しなければという使命感はおそらく,ないだろう。

 だが,コンテンツ・プロバイダ,サービス・プロバイダや携帯電話メーカーの事情は別だ。海外市場へ進出する際に国際標準と整合コストという「出国税」がとられる。そればかりか,製造業である携帯電話メーカーの場合,より広い市場を握り規模の経済性を活用する海外メーカーとの競争で劣勢に立たされることになる。NTTやISPの成功と,コンテンツ/サービス・プロバイダ,デバイス・メーカーの成功とは,意味的にずれている。

どうしたらガラパゴス現象を回避できるのか

 こうした事情に対し,単にキャリアに国際標準を守るよう要請すればよいと考えるのは二重の意味でバカげていると思う。まず,第一にキャリアは言われなくてもITU-Tの標準を守るだろう。問題はITU-Tの標準がカバーするエリアが市場の要求よりも狭いのではないかという点にある。そうなると,積極的にデファクトの世界標準を作るということが大事になる。しかし,それを行うこと,または海外で生まれた標準を積極的に採用することは自らの事業の自由度を放棄することにつながりかねず,キャリアの利益にはつながらない。

 やりたくないことを,きちんとやるものはいない。せいぜいやっつけ仕事で対応するか,やったように見せかけるのが関の山だ。つまり,国内の市場競争しか見えていない事業体にガラパゴス現象を回避しろと言っても,そもそも無理な話なのである。

NGNの世界を主導するプラットフォーマを生み出すために

ガラパゴス現象を回避するためには,まずは積極的に先行する国際標準を受け入れることが大事である。しかし,その国際標準がコンテンツの可搬性を確保するには十分でない場合,より積極的に自ら生み出したプラットフォームを他国に普及していくことが必要になる。

 だが,普及といったところで,日本政府やNTTなどが呼びかければ,各国のキャリアが自らのNGNのANIを日本標準にあわせて調整するとは思えない。だからこそ,採用してもらえないなら自らがそこにプラットフォームを移植しにいく図々しい戦略が大事になる。

 すべてのNGNはインターネットと接続することが想定されている。日本のANIと互換性があるAPIをインターネット・ベースで提供されれば,たとえその国のキャリアが提供しなくてもユーザーは利用できるということが有利に働く。このとき,例えば全く同じ程度のQoSを保証するなど完全な互換性である必要はなく,コンテンツが改変無しに共用できる程度の互換性でよい。

 問題は,それを誰がやるのかということだろう。考えてみれば,ANIの移植はキャリアやISPではなく,別の事業者がやってもよいことだ。いや,NTT-NGNでSNIを標準化してくれているおかげで,ANIの構築そのものがキャリアやISPでなくてもできるようになっている。キャリアやISPが標準的なANIを構築し,世界にまで普及していくという事業をやりたくないのであれば,むしろ別の事業者がやるべきなのかもしれない。

 何よりも「世界に統一的なプラットフォームを作り出そうという意欲」を持った事業主体を適切に構築することが最大の課題となるのだが,ここには二つの道があるように思う。

 一つは,各種デバイス事業者やコンテンツ・ベンダーが中心となって,国際的なプラットフォーム構築事業者を作り出すことだ。この事業者にはキャリアは関与させない。この場合,キャリアがこのプラットフォームに対して中立であることを担保させるために,一定の規制が必要になろう。

 もう一つは,この事業にあえてキャリアも出資させるものだ。この場合,キャリアにもANIをこのプラットフォームに整合させるインセンティブが生まれることを考慮すると,中立性を担保するための規制は必要ないかもしれない。

 ただ,いずれにせよ,こうした問題意識をもってANIをグローバルに構築していこうという事業者が日本にいなければ,話は振り出しに戻る。そういう意味では,NGNが真に成功するかどうかと言う問題は,キャリアの姿勢だけで決まるのではなく,NGNの活用を世界戦略的に活用しようと言う関係事業者の態度も含めて,日本のICT産業全体の体質が問われる問題なのかもしれない。

私の提言

1.ANIの国際標準性は担保されねばならない。デバイス事業者やコンテンツ・サービス事業者の足かせになるようなNGNは,将来的に産業の大きなお荷物になる。

2.グローバルに整合的なANIを構築するための事業,運動を始めなくてはならない。ビジネスモデルはまだはっきりしないが,それはデバイス事業者やコンテンツ・サービス事業者に支えられたものではなくてはならない。


境 真良(さかい まさよし)
早稲田大学大学院 GITS客員准教授
1968年東京都生まれ。1993年に通商産業省入省。省庁再編後,経済産業省メディアコンテンツ課課長補佐,東京国際映画祭事務局長,経済産業省情報政策局プラットフォーム政策室課長補佐。2006年4月より,現職。専門はコンテンツ産業理論,情報経済論,産業政策論。また,アジア大衆文化,海賊版現象などの研究は20年来のライフワーク。