1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,2007年に至るまでの生活を振り返って,週2回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 とある秋の日の池袋。待ち合わせ時間は午後の1時半。「どうも」。簡単なあいさつを済ませると私は,やってきた女性とカラオケボックスに入った。彼女と知り合って半年と少し。もうすっかり,彼女は私にとってなくてはならない存在だ。部屋に入って二人きりになり,私は家から持ってきた紙袋を渡す。「これが今月の…」「はい」。

 なーんて書くとちょっとはスリリングかなあ,と思ったのだが,緊張感のある文は長く続かない。彼女は税理士の植野正子さん。この連載の初回で,青色申告の期限3日前にして七転八倒していた私を救ってくれた税理士さんの話を書いたのを覚えておられる人もいるかもしれない。そのときの税理士さんだ。それ以来,月ウン万円で顧問の仕事を引き受けてもらっている。会うのは基本的に月に一度,カラオケボックスで,である。

 私は仕事の打ち合わせ場所として,池袋のカラオケボックスをよく使う。まず,テーブルが大きいのがよい。夜にしか行かない人は意外に思われるかもしれないが,照明はわりと明るいし,昼間は結構,静かだったりする。インターホンで頼めば飲み物だって持ってきてくれる。貸会議室よりも安上がりだし,ファミレスや喫茶店よりもプライバシを守れる。なかなか気が利いた場所だと思っている。

 話を戻そう。さっき植野さんに渡した紙袋には証憑(しょうひょう)類,ひらたく言えば請求書,領収書,預金通帳などが入っている。植野さんはそれらを手際よくチェックして必要なものを持ち帰り,整理して帳簿に記帳してくれる。毎月こういう準備をしておけば,前回の轍を踏むことはあるまい。

 書類を渡したら,お茶をしながら2~3時間ぐらい世間話をする。業務を依頼している関係上,彼女はだれよりも(おそらく私自身よりも)私のお金の出入りを把握している。職業上の守秘義務があるから,私の内情を他に漏らすといった心配もない。私は,新しい案件がボツになったとか,割のいい仕事を受けられたとか,立て続けに風邪を引いて納期を遅らせて客に迷惑をかけてしまったとか,なんてことを話す。適度にさしさわりのない内容ではあるが,だからといって赤の他人には軽々しく話せないようなことを聞いてもらうわけだ。

 植野さんは,あるときは単なる聞き手として,そしてあるときは有能なアドバイザとして相談相手になってくれる。司法書士とか社会保険労務士に頼るべき内容も相談してしまっているかもしれない。それでも,植野さんは彼女なりの知恵を貸してくれるし,士業(さむらいぎょう)の横のつながりを活用して知り合いを紹介してくれることもある。

 ほとんど1日中マシンに向かって仕事をしている私だが,たまには話し相手が欲しくなる。植野さんとの会話は,私にとって月に一度のとても貴重な時間だ。

「出会い運」は大切にしないと

 植野さんは基本的に個人ベースで仕事をされている。都心にオフィスを構えている大きな会計事務所に勤める税理士に顧問をお願いするという選択肢もあっただろう。こうした人と顧問契約をすれば,顧問料は現在の倍以上になる代わりに,経営診断とか,リスク・マネジメントとか,事業拡大相談とか,異業種交流会といったオマケがどっさり付いてくるらしい。だが私の場合,そんなオマケは聞いただけでうんざりだ。

 「カラの領収書を切ればいいですよ。でも見つかったらお縄ですから」とか言って,ばれにくい方法や注意すべき点について,事細かに教えてくれる税理士に会ったこともある。こういう行為は脱税であり,これを顧客に勧めるのも違法行為だ。確かにこういう話を聞くのは面白い。でも,そういう話を持ってくる人を仕事のパートナとして信頼できるだろうか?

 私が植野さんに対して感じた第一印象は,この人ならおそらく腹黒いところはないだろうというものであった。そして,毎月会って話をするうちにその印象は確信へと発展していった。実際,植野さんはブラックとかグレーなゾーンの話をすることはない。あくまでも正攻法である。しかも,正攻法であっても,それを無理に勧めることはしない。たとえば私は法人化の準備を進めていたのだが,結局私の一存で無期限に延期することにした。植野さんに手助けしてもらったことがほとんど無駄になってしまったのだけれど,彼女は文句ひとつ言わず,「経営者の判断だし,結果としてよかったのではないか」と言ってくれたりもするのである。

 そう言えば,昨年会社をやめて独立した知人が近く法人化するらしい。不動産業や金融業を専門にしていた税理士と契約したと聞いているので,ひょっとするとそのあたりも関係しているのかもしれない。植野さんは,私のような,資産を増やしたり,大きく稼いでやろうといったことを一切考えていない,志の低い経営者とお付き合いくださっているわけだからありがたいことだと思う。こうした「出会い運」はぜひ大事にしていきたい,そう考える今日このごろである。

 今年ももう11月。個人事業主は12月が期末だから,もうすぐ決算だ。今度の春は,申告であわてることだけはないはずだ。ただし,税金を払えるほどの蓄えがあるかどうかは別である。澄み切った秋の空を見上げたら,「税金のことを考えて,もう少し貯金するように心がけた方がいいかもしれないですね」…植野さんの声が聞こえたような気がした。