1999年に「アコード」の生産を開始し、中国で“HONDA”ブランドを確立した広州ホンダ。日本に頼らず、自社の開発リソースでシステムを構築・運用するその情報システム戦略は、ホンダ・グループの中でも異色の存在だ。

 69万平方メートルという広大な敷地を持つ、広州本田汽車公司(広州ホンダ)の第一工場。その敷地ですれ違う工員は20代の若者たちばかりだ。「うちは、立ち上げてまだ10年足らず。平均年齢は低いですよ」と、大坪幹和IT科長がつぶやく。

広州ホンダの大坪幹和IT科長
広州ホンダの大坪幹和IT科長

 そんな若い会社ではあるが、情報システムに関していえば、広州ホンダは熟練の域に達しつつある。「現在検討しているのは、販売店向けCRM(顧客関係管理)システムだ」と大坪科長は明かす。2006年に刷新した販売特約店管理システム「DMS(ディーラ・マネジメント・システム)」で集めたデータを有効活用し、販売力強化に結び付ける狙いだ。もちろんこれまで同様、日本のホンダには頼らず、広州ホンダのメンバーを中心に、中国のベンダーを使って開発する腹づもりだ。

 中国自動車市場の競争は、“民族系”と呼ばれる中国国産メーカーが台頭し始め、供給過剰になりつつある。作れば売れる時代は終わった。広州ホンダの情報システム部門が今考えているのは、「現場が本当に必要とするシステムを、いかに手早く作り、提供するか」である(図1)。日系自動車メーカーの中でもいち早く現地に工場を立ち上げ、06年に売上高378億元(約5800億円)にまで成長した広州ホンダの取り組みから、中国市場でビジネスを拡大し、現地化していく日系企業の未来像を探っていこう。

図1●広州ホンダは日本とは異なる中国のIT事情を踏まえて情報システムの現地化を進めた
図1●広州ホンダは日本とは異なる中国のIT事情を踏まえて情報システムの現地化を進めた

過去最大のリコール対応を支える

 07年3月16日、その広州ホンダが衝撃的な発表をした。主力であるアコード、オデッセイ、フィットの3車種について、約50万台のリコールをするという内容だ。パワーステアリングや、燃料ポンプなどに不具合があったためだ。折しも広州ホンダは1999年の生産開始以来の累計生産が100万台を達成したばかり。これまで生産した自動車の実に半数が、リコール対象になってしまった。ディーラの数は280を超えている。迅速に対応しなければ、大きな混乱が生じかねない。

 「中国史上最大規模」とされるこの騒動で、ディーラーの対応作業を支えているのが、IT科が開発したアプリケーションである。3件のリコールについて、どの顧客が何件に該当するか、どのような部品を用意して対応するかなどを画面に表示し、現場に的確な指示が届くようにした。

 IT科がリコールの件を知ったのは3月の初旬。大坪科長の指示で急きょ、システム開発に着手し、約2週間で3月19日のリコール開始に間に合わせた。「もし今も日本におんぶにだっこだったらやり取りに時間がかかってしまい、これほど素早く対策アプリケーションをリリースすることは不可能だっただろう」(大坪科長)。