これだけ科学や医学が発達しても治療法が見つかっていない病気はたくさんあり,多くの患者が苦しんでいる。また,人間は死を迎えるとき,すべての臓器や器官が機能不全に陥って死ぬわけではない。何か一つの臓器が悪くなって致命傷となる。だったら,悪くなった臓器を別の正常な臓器と取り替えればいい,という治療法が出てくることになる。その一つの方策が他人の臓器を移植することだが,拒絶反応を起こさない臓器をどうやって提供したらよいか,という大きな課題を抱えている。その課題を解消するために,自分の細胞の一部をいったん分化前の状態に戻し,それを再び目的の臓器や器官に分化させて移植する---。そんな夢のような治療法につながる研究が基礎医学の最先端では進行している。

 4月4日,その最先端で頑張っているある日本人研究者の話を聞く幸運に恵まれた。京都大学の山中伸弥教授,その人である。日経BP社が,産業や社会に大きなインパクトをもたらす優れた技術を表彰する日経BP技術賞で京都大学・山中伸弥研究室の「ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立」を大賞に選出,同研究室を代表して山中教授による受賞記念スピーチが行われたのである。

皮膚からつくった拍動する心臓

 10分程度の短いスピーチであったが,女性の頬の皮膚細胞からiPS細胞をつくり,さらにそこから分化させた心筋細胞が拍動する映像を流すなど,その研究内容の紹介はとても迫力があった(BPtvの動画)。そしてさらに興味深かったのが,こうした成果を生み出すにいたった経緯や背景を,率直にそして時には冗談を交えながら語っていただいたことである。筆者はそこに,日本の基礎研究者が置かれている生の姿に触れた気がした。

 山中教授といえば一般のマスコミにも大々的にとりあげられた時の人だ。テレビニュースなどで拝見した精悍な感じの風貌などから近寄り難いイメージを持っていたのだが,スピーチからは,飾らない気さくな印象を受けた。

 「飾らない」といえば,そもそも山中氏が語る,基礎研究を始めたキッカケからしてそうである。同氏はもともと神戸大学医学部の出身で,最初は整形外科の臨床医を目指した。それが,「2年間研修医をやってみて,あまりに手術が下手だということに気がついて,臨床医を諦めて基礎研究をすることにした」のだという。

 こうして山中氏が基礎研究の世界に身を投じて20年,ES細胞(注)やiPS細胞などの万能細胞の研究を始めてからは10年ほどになる。しかし当時を振り返る同氏の話によると,世界の万能細胞競争のスタートラインにそもそも同氏は立っていなかったようである。

 ヒトのES細胞を初めて取り出すことに成功した,と米国ウイスコンシン州立大学の研究者ジェームス・トムソン氏らが発表したのが1998年のことだ。このES細胞は,人間の様々な身体組織や臓器に分化する能力があることが立証されたことから,一躍脚光を浴びることになったわけだが,二つの大きな壁が立ちふさがって,侃々諤々の議論が繰り広げられることになった。一つは,他人の細胞を使うことから来る拒絶反応の問題,もう一つはヒトの受精卵を使うという倫理的な問題である。

(注)ES細胞 embryonic stem cellsの略語で,日本語訳は「胚性幹細胞」。動物の受精卵は,細胞分裂して分化していくが,受精後5~6日に「胚盤胞」と呼ばれる初期段階を経る。胚盤胞は,外側の細胞層である「栄養外胚葉」と,将来的に各器官の元になる細胞のかたまりである「内部細胞塊」から構成されている。この内部細胞塊が未分化な状態のときに取り出して培養した細胞のことをES細胞と言う。

「重い病気」を治したものとは

 ヒトES細胞を巡って世界の研究者が大騒ぎをしている時に,当の山中氏といえば,「PADという非常に重い病気にかかっていて,ヒトのことというか,ヒトES細胞の心配をしている暇はなかった」という状況なのであった。昔,医学記者だったこともある筆者は,記憶をたぐりながら「はて,PADとはどんな病気だろう」と考えていると,山中氏は真面目な顔でこう続けた。

「PADについては皆さんご存知だと思いますが,『Post America Depression』といううつ病であります。ちょうど,4年間の米国留学から帰ってきたところでありまして,英語がない,セミナーがない,お金もない,ディスカッションもない,毎日やっているのはねずみの世話だけ,という状況の中で研究に対するやる気を失っておりまして,毎日大学に行くのが苦痛でした」

 「PAD」に苦しむ山中氏に転機が訪れたのは1999年12月のことだった。「ここもダメだったら,研究はもう諦めて手術は下手ながら臨床医に戻ろう」と背水の陣で応募した奈良先端科学技術大学院大学に採用が決まり,晴れて助教授として自らの研究室を持つことができたのである。

 こうして「自分の病気が治ったためにようやくヒトES細胞の心配をする余裕が出てきた」山中氏は,ES細胞が抱える二つの問題点を克服するために,患者自身の細胞からES細胞ライクの万能細胞をつくることを研究室のテーマとした。理由は,教授もいない小さな研究室に学生が来てくれるのかどうか心配だったために,「このような夢のあるテーマを掲げると『騙されて』入ってくる学生がいるのではないか」と考えたからだと言う。