1960 年生まれ,独身フリー・プログラマの生態とは? 日経ソフトウエアの人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」からより抜きの記事をお送りします。2001年上旬の連載開始当初から,2007年に至るまでの生活を振り返って,週2回のペースで公開していく予定です。プログラミングに興味がある人もない人も,フリー・プログラマを目指している人もそうでない人も,“華麗”とはほど遠い,フリー・プログラマの生活をちょっと覗いてみませんか。

 仕事を好きでやっている人とそうでもない人がいる。別に後者が悪 いと言うつもりはない。私なんか足元にも及ばないような優秀な人が, もっぱら飯を食うために仕事をし,まったく別の趣味を人生の楽しみ として持っていることも少なくないからだ。

 だが少なくとも私は,プログラ ミングの面白さに魅せられ,好きでこの職種を選んだ。プログラミン グが好きだと言うと,「自分のコードがうまく動いたときってうれしい ですからね」と同意を求められることがある。うーん,そーかな,と 思う。確かに私も,プログラミングを始めたころは「うまく動く」の がモチベーションになっていたような気がする。だが今では,自分が 書いたコードが動くのは少なからず当然だと思っているので,うまく 動くこと自体には無感動になっている。

 「じゃあ,何がうれしくて」と自問すると,どうやら「依頼主(ユ ーザー)が喜んでくれる」ということらしい。完成したプログラムをユ ーザーの前で動かして見せて,「ああ,これが欲しかったんですよ」と 言われる,その瞬間。あるいは,開発の途中にユーザーから「こんな ことはできないでしょうか?」と持ちかけられ,「カクカクシカジカす ればできるかも」と答えて「そうですか!」と言うユーザーのうれしそ うな声を聞いたとき。ああプログラミングをしていてよかった,としみ じみと幸せをかみしめるのである。

 だが逆に「外部からのモチベーションがなければ何も創れないらし い」ということも薄々自覚している。会社勤めをしていたころの話で ある。上司に「何でもいいから作ってみろ」と言われた。新入社員研 修の話ではない。自分一人でソフトウエア・プロダクトを企画/開発/ 販売してみろという命令だった。ちょうどインターネットが普及し始 めて,シェアウエアで一発当てる話が業界をにぎわせていたころであ る。だが,恥ずかしながら白状すると,10 カ月もの期間があったのに 私は何も作り出すことができなかった。このとき,目の前にソフトウ エアを求めている人がいて,その人に喜んでもらうことが,私の仕事 の原動力になっていることを痛感した。

ここらで一発,勝負に出るのか?

 こうした自分を,このごろこんな風に解釈している。プログラミン グを始めた当初の「うまく動くことで自分が満足する」という刺激に 飽き足らなくなった結果,「自分が作ったプログラムで他人に喜んで もらう」というより強い刺激を求めるようになったのではないか,と。 だとすると,今の刺激に麻痺してしまい,さらに強い刺激を求めるよ うになったらどうすればいいのだろうか。これは困った…。

 だが人間は順応する生き物で,そうこう考えているうち私は,驚く べきことに次の刺激を見つけてしまったような気がする。これまで私 が考え出した様々な方法を体系付けてソリューションと呼べるところ まで完成度を高め,みんなに使ってもらったらどうだろう。そうすれ ば,みんなが自分のように幸せにプログラミングをできるようになるの ではないだろうか。

 こう考えるようになったきっかけは多分こうだ。私はユーザーから 依頼されてソフトウエアを作っているとき,今回の要求に特化したコ ードを書けば事足りる場合でも,手間をかけて汎用のライブラリをコ ーディングすることがある。汎用ライブラリだと思うと「今回動けば いい」という気持ちが消える。その機能の本質は何か,どのように機 能を分ければよいか,といったことをしっかりと考える。エラー・ト ラップも,様々なケースを想定して徹底して作るようになる。

 こうすることによって,そのソフトウエアは仕様変更や拡張が容易 になり,エラーにも強くなる。するとまず依頼主が幸せだ。このライ ブラリをさらに別のプロジェクトに使えば,楽に開発ができるので私 も幸せだし,速く開発できればその別のプロジェクトの依頼主も幸せ なはずだ。この幸せを全世界のプログラマやユーザーと分かち合いた い。はっきり言ってこれは,ある種“宗教”の始まりである。

 独立開業して1 年半,これまで日銭を稼いで口を糊(のり)するこ とばかり考えてきた私だが,ここはひとつ遠大な事業計画を掲げて大 勝負に出てみるのもよいかもしれない。幸いなことに,IT バブルがは じけたと言われているにもかかわらず,いまだに業界の状況は追い風 である。聞くところによると,しっかりしたビジネス・プランさえあれ ば,国民生活金融公庫などから融資 も受けられるらしい。超低金利時代だけあって,驚くような好条件だ。 ここはひと勝負すべきだろうか? そう,当面は仕事を請け負わず目 標に向かって開発にまい進するのだ。そしてこの勝負に勝った暁には, 教祖として君臨するというわけだ。

 だが,こんな妄想街道をばく進する私の脳裏を,「侏儒の言葉」(芥 川龍之介著)の一節がよぎる。「わたしは現に時とすると,攀(よ)じ 難い峯(みね)の頂を窮め,越え難い海の浪(なみ)を渡り――云わ ば不可能を可能にする夢を見ることがございます。(中略)どうか英雄 とならぬように――英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守り 下さいまし」。私としたことがちょっとカッコ付け過ぎたかな?