画を売った。江戸後期の山水画で、さほど著名ではない大徳寺の禅僧が描いた掛軸である。入手したばかりだったのだが、知り合いの美術商から「近く交換会(業者によるオークション)があるけど、何か売りたいものある?」と聞かれ、ほかの所持品何点かと一緒に渡してしまった。実は、お金に困っているのである。このところ美術品の価格が下落していて、思わぬものが安く買える。それがうれしくて、何だかいろいろ買い込みすぎてしまったのだ。
一介のサラリーマンである私にはまとまった資金などというものはないから、一方的に買い続けることはできない。新しいものを買えば、手元のものを処分してその借金を埋めなければならないのである。でも、安く買えるときは売っても安い。それをついつい忘れてしまい、買いすぎてしまう。困ったことである。
ちなみに、その軸の買値は数千円。それが何と数万円で売れた。たまにはこんなこともあるのである。「うんうん、おれの眼力も捨てたもんじゃない」などと一人で悦に入り、「これに慢心することなく、さらに鑑識眼を磨かねば」ということで先日、有名古美術店が集まって展示即売する催事に出かけた。そこでふと見ると、あの軸が飾られているではないか。恐る恐る値札をみると、ン十万円。さっきまで「得をした」とものすごく喜んでいたのに、それを見たら何だか急に損をしたような気になって、悄然としてその会場を後にしたのであった。
気付けば不良在庫の山
よく考えてみれば、高く売れたわけだから何も落胆することはない。「売っても買ったときの値段に届かない」確率の方が高いはずなのだから。簡単な理屈である。古美術店は、仕入値に何割かの利益を乗せた金額で売る。けれどもそれを買い取ってもらうときは、小売価格ではなく仕入値相当になってしまう。つまり、売り買いを続けていけば回数×利益分は目減りしていく計算になるのだ。もちろん「思わぬ掘り出し物だった」こともあるが、「頑張って買ったのによく出来たニセモノだった」ということもあるわけだし。
そんなことは分かっている。分かっていても、買い値より随分安くしか売れなかったときはいたくヘコむ。だから、売るときは幸運にも安く買えたもの、つまり損をしそうにないものを優先処分してしまうのである。これを続けているとコレクションは、美術的価値はさておき経済的には不良在庫の山となる。「これを売ったら絶対に損するよな」というものは塩漬けになるわけだから、キャッシュフローが細る。これが企業であれば、「経営的にぜんぜんダメ、社長はクビ」ということになるのだろう。われながら情けない。
なぜこうなってしまうかは明白である。人間が小さいから、とりあえず損をすること、つまり失うことが怖いのである。だから守りに入る。簡単にいえば、保身ということだろう。
儲けたい人ほど儲けられない
そういえば、ソフトブレーンの創業者である宋文洲さんのメルマガに、「高く買って安く売る人達の欲」なる一文があった。もともと高くない日本の株をいったい誰がさらに売り込んでいるのかという謎について、宋氏は「多くはたぶんそれより高い値段で買った」人で、「こんな理不尽なことをする唯一の理由は損の拡大に怯えているから」と推測する。さらにこうも付け加える。
|
この論からすれば私の行動は、間違いなく損をする「高く買って安く売る」タイプではない。だったら儲かるタイプに分類されそうだが、残念ながら現実はそうでもないようだ。決定的に違うのは、私の場合「損をするときも淡々と納得している」という境地からはほど遠いことだろう。「高く買ったら怖くて売れない」という保身タイプも、どうやら「損をする人」の仲間であるようだ。