携帯電話事業者が,今後の企業としての在り方を左右する岐路に立たされている。フィンランドのノキアや米グーグルといった企業が携帯電話上のビジネスに参入し,携帯電話事業者を「土管」として使うようなサービスを展開しようとしているからだ。携帯電話事業者が持つ価値は「電波を持っている」だけになってしまう可能性すらある。こうした状況を懸念する携帯電話事業者が増加しつつあり,コンテンツ事業者との関係を見直す事業者も出てきそうだ。

(日経コミュニケーション)

 モバイル・データ通信が立ち遅れた欧米でも,ここ1年で急速に携帯電話でのコンテンツ配信が台頭してきている。例えば英EMIや米MTVといった世界的な大手コンテンツ事業者は,2007年初頭から携帯電話向けのコンテンツ配信を次々と発表している。これに呼応するように,欧米の携帯電話事業者はコンテンツ事業者との提携を重要視し始めた。

 ところが,携帯電話事業者とコンテンツ事業者の蜜月関係はわずか1年で冷えつつある。携帯電話事業者が,コンテンツ事業者のコンテンツをユーザーに届けるまでの「土管役」に成り下がってしまう,という懸念がふくらみ始めているのだ。

 実は2007年2月に開催された世界最大の携帯電話の展示会「3GSM World Congress」の段階で,仏オレンジCEO(当時)のサンジヴ・アフジャ氏はこうした問題を指摘していた。同氏は,コンテンツを携帯電話事業者の自社のブランドで提供しないと,コンテンツ事業者に主導権を取られてしまうと説いた。当時は携帯電話事業者が抱いたモバイル・コンテンツへの期待感が先行して,アフジャCEOの懸念に対して会場の反応はあまり無かった。だが,後述するノキアのOviの登場などで風向きが変わってきた。

先進国の携帯事業者はただの「パイプ役」になりたくない

 今年のGSMA Mobile World Congress(MWC)は,まさにアフジャ前オレンジCEOが警鐘を鳴らした「土管化」がキーワードとなった。講演では「ダム・パイプ」や「コンテンツ・パイプ」という表現で語る人が多かった。2007年はコンテンツ事業者との提携に前向きだった携帯電話事業者も,1年経ったMWCでの各社CEOの発表でダム・パイプ化に対する危機感をにじませている。

 MWCでの携帯電話事業者による発表の中で,最も大きな反響を呼んだのがソフトバンクモバイルの孫正義社長による発表だった。孫社長は,米グーグルなどがモバイル市場への取り組みを強化しており,データ通信の立ち上がりの遅れていた欧米市場ではダム・パイプ化への懸念は大きいとの見方を示した。

 日本の携帯電話市場は,ユーザーの携帯コンテンツ利用が他国に比べて突出して多く,モバイル・データ通信では世界最先端と見られている。孫社長のダム・パイプ化への懸念は,データ通信で先行する日本市場からの警告として受け止められた。

 孫社長と同様の懸念は,英ボーダフォン社長のアルン・サリン氏も表明。サリン氏はMWCの講演で「(携帯電話事業者自らが)コンテンツ事業などに積極的に投資し,ダム・パイプ化を回避する必要がある」と述べた。

ノキアのポータル進出が携帯電話事業者の危機感煽る

 携帯電話事業者が心境を変化させた大きな要因が,2007年8月にフィンランドのノキアが「Ovi」を発表したことだと考えられる。Oviはノキア独自のコンテンツ・ポータルで,ノキア端末のユーザーに対して音楽やゲームなどのコンテンツを提供していくサービスだ(関連記事)。端末メーカーが主体となって提供する初のコンテンツ・サービスといえる。

 つまりOviは,今まで携帯電話事業者の専売だったコンテンツ配信ビジネスを,端末メーカーが手掛ける試みとなる。しかも,世界最大シェアを誇る端末メーカーであるノキアが,だ。Oviの利用が多くなった場合,英ボーダフォンの「Vodafone Live!」をはじめとした携帯電話事業者のポータルは,ユーザーに利用されなくなる可能性がある。いわば,携帯電話事業者がコンテンツを運ぶ「パイプ」の役割に成り下がってしまうわけだ。

 こうした携帯電話事業者の懸念に対し,ノキアはMWCのプレス・カンファレンスで次のように答えている。まず,Oviが携帯電話事業者とメーカーの関係にどのような変化を及ぼすかについては,「Oviや地図情報サービス『Nokia Maps』のようなモバイル・サービスは,携帯電話事業者以外の事業者も参入可能な大きなビジネスである」(オリペッカ・カラスブオCEO)と回答。端末メーカーとしてコンテンツ配信サービスに参入する意向をあらためて印象づけた。

 その一方でカラスブオCEOは「コンテンツ配信ビジネスにおいて,基本的にキャリアと『Win-Win』の関係を保ちたいと考えている。そのためには,キャリアと協定を締結する必要がある」として,携帯電話事業者との協調の必要性を訴えた。残念ながら「どのように携帯電話事業者と協調」するかに関する具体的な発言はなかったが,端末メーカーとして携帯電話事業者との関係悪化は避けたい意向が見え,Oviの展開に細心の注意を払っていることが伺えた。

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 ノキアのOvi以外にもグーグルが携帯電話プラットフォーム「Android」を発表するなど,あるゆる企業が携帯電話上のビジネスに参入できる新たな構造ができつつある。こうした変化は,携帯電話事業者が「電波を持つ」以外のすべての価値を他社に奪われる可能性を示唆している。今年開催されたGSMA Mobile World Congressで講演した携帯電話事業者CEOの発表内容のキーワードが「ダム・パイプ」となったのは,新たな構造への変化が目前に迫っており,それに対応する必然性を示していると考える。2008年は,携帯電話事業者が構造変化へいかに対応していくかが注目される。

中村 邦明(なかむら くにあき)
情報通信総合研究所 研究員
1998年オハイオ・ウェズリアン大学卒,2000年早稲田大学大学院修了。2007年早稲田大学大学院国際情報科博士課程満期卒。国際通信経済研究所勤務を経て2006年より現職。世界におけるワイヤレス通信分野全般の調査研究,コンサルティング業務に従事。なお,移動通信関連調査研究の一環として海外調査を多数経験する。「InfoCom移動・パーソナル通信ニューズレターT&S」(情総研・共著),「電気通信」(電気通信協会)などへの執筆多数。


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