厳しいIT業界でチャンスをつかむには,自分の実力を積極的にアピールすることが重要だ。だが,背伸びしすぎては,自分自身を窮地に追いやることがある。事実とかけ離れた“スキルの厚化粧”は,必ず露呈する。

イラスト 野村 タケオ

 Aさん(32歳)はここしばらく,転職のチャンスをうかがっていた。今まで10年間,ベンダー企業のSEを務めてきたものの,会社の先行きに不安を感じ始めたからだ。

 そんなAさんにチャンスが訪れたのは,2005年10月のこと。新聞で,食品加工大手M社の求人情報を見たのである。「業務改革に伴うシステム開発案件が目白押しで,経験者を急募している」とのことだった。Aさんはさっそく応募し,書類審査を突破。意気揚々と面接に臨んだ。

 面接室には採用担当者のほか,システム室長であるB氏が座っていた。Aさんが自己紹介を終えると,B室長は矢継ぎ早に質問してきた。質問は,Aさんの職務経歴とスキルに集中していた。というのも,M社が求めているのは現場部門の意見集約やプロジェクトマネジメント業務を主体的に進められる人材だった。だが,Aさんは32歳とまだ若く,ユーザー企業での職務経験がなかったからだ。B室長は,Aさんが即戦力になるかどうか疑問視していた。

 AさんはB室長の懸念を敏感に察知し,「私はこれまで,ユーザー企業のシステム開発に数多く携わってきました。現場部門の人たちとのコミュニケーションには自信があります。プロジェクトマネジメントに関しても経験を積んでいますので,貴社において必ず結果を出せると思います」と,力強くアピールした。

前評判が一人歩き

 数日後,AさんはM社の採用通知を受け取った。ここからAさんの試練は始まった。

 M社に初出社した朝,Aさんは新しい同僚にあいさつして回った。すると皆,口々に「うわさは聞いているよ。凄腕らしいじゃないか」,「頼りにさせてもらうよ」と言う。はじめは照れているだけだったAさんだが,だんだん心配になってきた。「まずいな。実力をかなり買いかぶられている」。その後,直属の上司であるGマネジャーのこんな指示が,Aさんにさらなるプレッシャをかけた。「さっそくだが,君にプロジェクト・リーダーをお願いしたい」。

 Gマネジャーの話はこうだった。事務用品の在庫管理や発注にかかる業務負荷を軽減するため,新システムを構築する。ついては,ユーザーである総務担当者とシステム部との共同プロジェクトを立ち上げるから,その指揮をA君に執ってほしい――。

 Aさんは焦った。まさか,“外様”である自分にいきなりそんな重要な役割が降ってくるとは思ってもみなかったからだ。それに,面接では大見得を切ったが,あれは面接に通るためのハッタリだった。実は,Aさんには本格的なプロジェクトマネジメントの経験はなかった。上司や先輩の指示に従い,進ちょく管理をしたことがあるだけだった。

 「困ったことになったぞ」。Aさんは心の中でつぶやいた。だが,Gマネジャーに「引き受けてくれるよな? 君なら楽勝だよ」とまで言われては,とても断れなかった。Aさんは次の瞬間,「お任せください」と言っていた。

真実が露呈

 案の定,プロジェクトはスタートして間もなく,暗礁に乗り上げた。Aさんがプロジェクトの範囲や進め方を詰め切っていないため,要件やスケジュールといった具体的な話に落とし込めずにいた。週1度のチーム会議は形ばかりで,Aさんを見るメンバーの目が徐々に厳しくなっていった。

 3週間後,とうとう総務部長がB室長にメールでクレームを申し入れてきた。メールには,「うちのメンバーが『忙しい中,プロジェクト会議のためにせっかく時間をとっているのに,話が前に進まない』と困っています。どうも,舵取りがうまくいっていないようです」とあった。表現はソフトだが,暗にリーダーの交代を迫っていることが感じられた。

 その日の午後,Aさんは会議室に呼び出された。会議室にはすでに,B室長とGマネジャーがそろっていた。まず,Gマネジャーが発言した。「A君,例の取り組みが頓挫しているそうだね。どういうことなんだ」。厳しい口調だった。A君はおずおずと,「プロジェクト範囲の確定にてこずっていまして…」と答えた。Gマネジャーは,「そんなこと,プロマネの基本だろう。君は,プロマネの経験が豊富だと言っていたじゃないか」とAさんを責め立てた。

 Aさんはしばらく黙っていた。だが,2人の上司にじっと見つめられ,たまらず「申し訳ありません。本当は,プロマネ経験はほとんどないんです」と打ち明けた。A君の告白に,B室長とGマネジャーは絶句した。

 B室長が沈黙を破り,「とにかく,今のままではメンバーに迷惑がかかる。何より,システム開発が予定通りに進まなければ,業務に支障をきたしかねない。どうするつもりだ」とA君に問いかけた。A君は,「正直言って,リーダーとしての自信はありません。しかし,この仕事をぜひやらせてほしいと思っています。ユーザー企業で生きていくと決めた以上,現場とのパイプを作りたいのです」と声を絞り出した。本音だった。

 B室長は,「経験はないが,やる気はあるというわけか。だがこうなった以上,君にすべて任せるわけにはいかない」と言った。A君は「事実を隠して入社したんだから,採用を取り消されるってことも…」と,肩を落とした。

 ところが,Aさんの思いを知ってか知らずか,B室長はこう続けた。「Gマネジャー,一緒にプロジェクトに入ってA君をサポートしてやってくれ」。Gマネジャーは,渋々うなずいた。Aさんは,何とか首がつながったことに胸をなでおろすとともに,B室長たちの温情に感謝した。「ご迷惑をおかけします。必死にやりますので,鍛えてください」。頭が自然と下がった。

今回の教訓
・ひとたび事に臨めば,実力は自ずと分かるもの
・自分を卑下する必要はないが,スキルと経験は冷静に棚卸ししておくべし
・素直な気持ちが解決策を導く


岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。takao.iwai@crest-con.co.jp