多数のエンジニアがかかわるシステム開発の現場では,コミュニケーションの重要度は高い。人間関係のトラブルが,プロジェクトにとって致命傷になることもしばしばだ。エンジニア1人ひとりの自己中心的な行動や自信過剰が,ボタンの掛け違いを引き起こす。

イラスト 野村 タケオ

 「あれ? M君,なんでいるんだ?」。午前中の外出から戻ったK課長は,オフィスに部下のM君(33歳)を見付けて驚いた。ここは,システム開発中堅であるW社の本社ビル。現在,U社のプロジェクトに常駐しているはずのM君が,月例会議でもないのに社内にいるのは,確かに妙だった。

 M君はやおら席から立ち上がり,「U社を引き上げてきました」と告げた。K課長は「なんだって!?」と言ったきり,しばらく言葉を失った。

大口をたたいて浮く

 輸入衣料・雑貨の大手商社であるU社は現在,顧客管理と物流システムの再構築に取り組んでいる。V社が開発を受注し,2005年4月にプロジェクトをスタートした。ところが,要件定義や外部設計を進めるうちに,開発規模が膨大で,V社の要員だけでは間に合わないことが判明。V社は,長年エンジニアを融通し合っているW社に,「データベース開発に協力してほしい」と支援を要請した。そこでW社が送り出したのが,M君である。2005年6月,M君は後輩3人とともに,プロジェクトに着任した。

 U社の現場に初めて出勤した朝,M君は「データベースのことは任せてください。絶対の自信がありますから」と,V社のメンバーを前にあいさつした。「他社のメンバーから早く信頼を得たい」,「なめられてはいけない」という気持ちからだった。だが,予想外に反応は鈍く,拍手もまばらだった。M君が拍子抜けしていると,ある人物が近付いてきた。プロジェクトを率いる,V社のYリーダーだった。Yリーダーは,「君はずいぶんと優秀なんだねえ。よろしく」と言って,すぐまた戻っていった。M君はその言い方に皮肉を感じ,「なんだかクセが強そうなリーダーだけど,うまくやれるかな」と首をかしげた。

意地を張って孤立する

 M君の不安は的中した。開発プロジェクトに途中参加したメンバーには通常,全体の組織編成や管理ルールなどについて,レクチャーがあるものだ。ところが,M君たちに対しては,誰からも何の説明もなかった。それどころか,業務の具体的な進め方や成果物の内容と形態,確認と承認方法についても指示はなかった。

 M君は,自社の月例会議の折,K課長にそうした状況をそれとなく報告した。だが,K課長は「それは現場で解決すべき問題だ。リーダーに積極的に働き掛けて,協力を引き出してくれ」と,M君をたしなめるだけだった。

 M君はその後,何度かYリーダーに打ち合わせを申し入れた。だが,Yリーダーは「データベース周辺は君にお任せするよ。なんといっても,スペシャリストだろう?」というだけで,明確な指示を出さなかった。他チームのリーダーに掛け合っても,なんだかんだと言ってはぐらかされてしまった。

 M君は,意地になった。「上等だ。別に,V社のメンバーに頭を下げなくても,仕様書を見れば成果物の内容や形態くらい判断できる」と独断で開発を進めた。だが,M君が孤軍奮闘するほど,V社のメンバーの目は冷ややかになっていった。

 7月の進ちょく会議で,プロジェクト内の対立図式が明らかになった。V社のメンバーが,「データベース周りの成果物は,品質に問題がある」と言い出したのだ。M君は,「ちょっと待ってください。私たちが作ったソフトのどこに問題があるって言うんですか」と,発言者に食って掛かった。誰も,何も答えなかった。すると,Yリーダーが「データベース・チームは開発済みの部分を再チェックしてください。それでは」と言って,会議を終わらせてしまった。M君は,唖然とした。「プロジェクトの管理ルールすら教えてくれないくせに,成果物にはケチをつける。冗談じゃない」。こみ上げる怒りを抑えるのに必死だった。

 翌日から,V社のメンバーはM君たちを完全に無視し始めた。M君と行動をともにしている3人のメンバーは,「これでは“針のむしろ”です。とてもやっていられません」と訴えてきた。いよいよ追い詰められたM君は,K課長に「私の力ではもはやどうにもなりません。何とか,V社の管理職クラスに善処してもらえるよう,働き掛けてもらえないでしょうか」とメールで相談した。

 3日待ったが,K課長から返信はなかった。M君は腹をくくり,現場から撤退した。

損害賠償の危機招く

 「つまり,元請け会社のメンバーから総スカンを食らったというわけか。何をやっているんだ,君は」。自社オフィスにいる理由を説明したM君に向かって,K課長は吐き捨てるように言った。

 そこへ,部長がやってきた。部長は,M君を見て言った。「V社からクレームが来た。U社のプロジェクトで,トラブルがあったそうだな」。黙ってうなずくM君を,部長は「複数の組織が絡むプロジェクトは,人間関係が成否を決める。そんなこと,ITエンジニアの基本じゃないか」としかりつけた。M君は唇を噛んだ。

 今度は,K課長に向かって部長が尋ねた。「君は,そのことを知っていたのか?」。K課長は,「ええ,聞いていました。現場の人間関係についてですから,口を出すのは控えましたが」と答えた。部長の眉がつり上がった。「部下がトラブルを抱えているのに,なぜすぐに手を打たなかったんだ。そのための管理職だろう?」。厳しい口調だった。K課長は下を向いた。

 部長は2人をしばらく見つめていたが,「実は,V社はM君の行動を問題視し,契約不履行による損害賠償請求をちらつかせている。しばらくもめそうだ」と言い残し,席に戻っていった。それを見送るK課長とM君の顔は,“損害賠償”という言葉にすっかり青ざめていた。

今回の教訓
・コミュニケーションは,すべての仕事の原点だ
・初対面での自分の打ち出し方を研究しろ。そして磨け
・部下のSOSを早く拾えなければ管理職失格だ。デスクを離れて現場へ出ろ


岩井 孝夫 クレストコンサルティング
1964年,中央大学商学部卒。コンピュータ・メーカーを経て89年にクレストコンサルティングを設立。現在,代表取締役社長。経営や業務とかい離しない情報システムを構築するためのコンサルティングを担当。takao.iwai@crest-con.co.jp