現代の環境思想は,豊かな生活と生態系保全を対立的にとらえることが多い。だが,かつて日本に,人々の暮らしをよくするために自然をよみがえらせようとした思想家がいた。江戸時代の儒者・熊沢蕃山である。

 蕃山は,今を去ること400年近くも前を生きた。単なる思想家であることにとどまらず,実践を通じて世の中を豊かにしようとした「経世家」でもあった。陽明学者・中江藤樹の弟子として出発しながらも,その思想は陽明学と朱子学の双方にまたがり,しかも古典学の習得により神道や道教も学び,儒教と道教の融合も図った。蕃山の思想はそれ自体で独特の体系を形づくるものであり,思想的系譜で位置づけるよりも,今日的に「環境思想」と呼んでしまった方が楽なぐらいである。

「天人合一」によって人間社会は豊かになる

 蕃山の思想は,今で言う穏健的なエコセントリズム(エコロジー中心主義)に類似してはいるが,むしろ新たに「儒教エコロジー」と命名した方がいいような独特な特色をもっている。そのユニークさは儒教の「仁政」を積極的に自然保護と結び付けていることにある。

 考え方の基本は,「天人合一」と「仁政」である。蕃山によれば,人間は天地によって生み出されたものであるが,他の生物と異なり天地の創造を助ける存在でもある。従って,私利私欲にとらわれることなく,天地の創造に協力しなければならない。これが「天人合一」である。「天人合一」すれば,四季のめぐりは順調で気候もよく,穀物は豊作となって結局,「仁政」となり人間社会も恵まれたものになるという。

 この思想の根幹をなすのは自然の循環思想とも言うべきものである。自然の中に天地がめぐり,その循環と法則に則しながら人間は社会を営む。だから,その循環と法則を知らなければならないし,それに従って生活しなければならない。そうすれば社会の豊かさは保証されるのである。考えてみれば当然のことで,自然の法則をよく知ることは農作物の収穫を最大限に高める方法を知ることにもなる。

 もし人間社会が乱れているとすれば,それは自然の秩序の中にいない,自然の法則から逸脱しているからである。だから天災と呼ばれるものの多くは,その実は人災なのである。自然の循環と法則を無視しているから自然災害にも見舞われる,というよりも知っていれば避けられる災害も多いのである。そして,もし災害が多いとすれば,そこには人間社会の乱れがなんらかの形で自然に反映していることになる。