行政サービスの担い手が官から民に移りつつある。公務員が独占してきた仕事も一般市民が分担し始めた。「裁判員制度」が好例だ。福祉施設、学校、ミュージアムなどのボランティアも増えた。市民も一片の「公務」を担う時代になりそうだ。国民が公務を担う現象は実は珍しくない。典型は徴兵制である。女性や子供も軍需工場に徴用された。徴用は城や道路の建設などで古来行われてきた。福祉もそうだ。福祉はかつて家族や近隣社会の義務だった。今は政府が担うがかつては国民が分担した公務である(もっとも昔はあまりに当然のことであえて“公務”とすら意識されなかったが)。

「福祉徴用」の時代

 これからの行政の中心課題は福祉、介護、医療などの人的サービス分野だ。きめ細かいサービスの提供には手間と費用がかかる。しかも受益者がうるさい有権者である。手抜きはできないが財源とマンパワーには限界がある。

 特に医療は難しい分野だ。医学が発達すればするほど、治療手段が充実し、病気の早期発見なども可能となる。その結果、医療費は増大し、ケアのための要員もたくさん必要になる。そのために必要なコストや人員が今までの行財政や税の仕組みのままで賄えるかどうか疑わしい。

 保険もあてにならない。保険とは一部の人だけが事故にあって救済するから成り立つ。全員が受給者になると破綻する。今後、受給者がさらに増え続ければ介護保険も老人医療保険も破綻するだろう。

 だとすれば金銭を介さないマンパワーの調達方法が必要になる。つまり「福祉徴用」である。医療は別だが福祉や介護の分野では、かつての徴兵制のように週に一定時間、手伝うことが義務化されるのではないか。そもそも21世紀は“兼業”の時代である。会社員でも主婦でも専業雇用が消えつつある。転職、パート、アルバイトも多い。学生も専門学校に通うし(ダブルスクール)、公務員も地域でNPO活動に参加する。こうした流れともあいまって誰しもが何らかの公務を担う時代になるだろう。

新たな公私のけじめ=首尾一貫性(インテグリティ)

 だが個人のなかで官民が融合する時代になると、今までとは違った意味で公私のけじめが大切になる。市民にも公務員にも英米でいう「首尾一貫性(integrity:インテグリティ)」が問われるだろう。これは「一見脈絡のない活動をしていても、一定の原理原則に則っていて特に公私混同などのやましいところがない状態」を示す。特に変革期に重要な概念だ。

 例えば変革リーダーは従来の枠組みを超え、あるいは壊して動く。その行為はしばしば「私利私欲」「公私混同」と批判される。例えば首長が民間委託や民営化を決めたとする。それを指して住民や議員から特定企業に市民の財産を売り渡す行為だと批判されることがある。これを恐れては何もできない。だが実際に特定企業との癒着や不正が起きることもある。官も民も関係者は常に身を潔白にしておかねばらない。「首尾一貫性」を示すには情報公開が一番だ。

 成熟社会というのは落ち着いた社会のようでいて、実はきわめて不安定な社会だ。右肩上がりの時代と違って課題の多くは未知の問題である。解く上で何らかのイノベーションが必要となる。その多くは何らかの形で民の力を借りるということである。ところがこうしたイノベーションの意義は保守的な人々には理解できない。不正、癒着、私益追及と誤解されることもある。だから組織と個人の信用、そして首尾一貫性が求められるのである。ちなみに「官から民へ」の行き着く先は民主導の社会だがそれは人と組織への信頼感の上に成り立つ社会である。そこでは権威やルールは法律や官僚組織に由来しない。民が担う公共とは民相互の信頼感の上に成立し、その根っこには組織と個人のレベルでの首尾一貫性が必要なのだ。

上山氏写真

上山信一(うえやま・しんいち)

慶應義塾大学総合政策学部教授。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、ジョージタウン大学研究教授を経て現職。専門は行政経営。『だから、改革は成功する』『新・行財政構造改革工程表』『ミュージアムが都市を再生する』ほか編著書多数。
■変更履歴
変更履歴本文3~4段落において誤解を招く可能性がある表現がありましたので,差し替えました。[2009/02/03 16:40]