誰もがプレゼンの名人と称える,ITベンダー出身のAさん。朗々たるテノールで声量豊か,アナウンサー並みの滑舌の良さ,身振り手振りもダイナミック。形勢不利なシステム案件もAさんのプレゼン一発で大逆転できるという「神話」さえ生まれたほどである。そのAさんにして,思わぬ失敗をしたことがあった。

 X社からベンダー選定のコンサルティングを依頼された筆者は,独立してコンサルタントをしていたAさんに声を掛けチームに参加してもらった。Aさんはプレゼンが上手なだけでなく,経営戦略からシステム戦略を立案する上流工程にも抜群の能力があり,技術的な知識にも強く並みのSEでは歯が立たないほどで,とても頼りになる最強の助っ人であった。ベンダー数社の比較検討は順調に進み,説得力のある結論を導くことができた。事前にシステム担当役員にはコンサルの結論を報告し,承認を得る根回しも十分に行っておいたので,あとは役員会でのプレゼンを残すだけとなった。

 プレゼンの前夜,資料の最後の調整をチームで行い,22時前に完成した。「プレゼンは11時からだから,明日に備えこれで帰宅しよう」という指示を筆者が出したところ,Aさんは言った。「もう少し考えたいところがあるから持ち帰りたい」。筆者はAさんが就寝前にざっと見直す程度だろうと考え(Aさんもそのときはその程度のつもりだったらしい),OKを出した。

 ところが翌朝出社してみると,Aさんから明け方6時過ぎにメールが届いていた。「資料を直し始めたら止められなくなり,今終わった。少し寝てから行く」との内容である。資料の修正に問題はなかったが,Aさんの体調が不安だった。

 10時に出社したAさんは,寝不足そのものといったむくんだ冴えない顔。思わず「プレゼン代わろうか?」と声を掛けた。報告内容には自信を持ってはいたが,トップに対するプレゼンは緊張する。失敗は絶対に許されない。

 Aさんは「これがあるから大丈夫。任せておけ」とドリンク剤を振って見せた。X社に向かうタクシーの中でドリンク剤5本を一気飲みして「よし!」と気合一発。X社に着く頃にはいつもの表情に戻っていた。

 プレゼンが始まった。筆者が挨拶に立ち,Aさんにバトンタッチする。最初の発声を聞くまでは緊張した。だが,いつもの朗々たるテノールだ。声も大きい。プレゼンはむしろ絶好調と言ってよい出来で,役員会のメンバーが引き込まれていくのが手に取るように分かった。予定通りにプレゼンは終わり,質疑応答の時間となった。

 すると社長が「すばらしいプレゼンだった。さらに具体的な話を聞いて,この場で役員と議論したいので,時間を延長したい。Aさんもお疲れだから15分休憩したら再開しよう」と言ってくれた。これは最上級の評価と考えてよいだろう。Aさんも誇らしげな顔で,筆者と視線を合わせた。

 ところが15分の休憩が思わぬ落とし穴となった。再開後,Aさんの声は小さくなり,しどろもどろになったり,質問と関係ない回答をしたりと明らかにおかしくなってしまった。

 「休憩したら急に気が抜けてしまった。自分でもいかんと思ったが,どうにもならなかったんですよ」とAさんは振り返る。徹夜明けに,ドリンク剤大量一気飲み,プレゼン前の緊張と予想以上の良い評価による安堵といった精神の激しい乱高下のため,気持ちのスタミナが切れてしまったのである。その場は「まずい」と思った筆者が代わって議論を仕切るようにして,事なきを得たのだが。

 この件以来,筆者はプレゼンは1に睡眠,2に食事,3に身だしなみ,その後に資料のデキと割り切っている。プレゼンはリアルタイムで何が起きるかわからない。どんな状況でも最後まで最善の対応ができるよう,体調を整えて臨むことが一番である。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長,NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て,ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画,96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング,RFP作成支援などを手掛ける。著書に「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)