「どうしてこんなに見積もり金額が違うんだ!?」。

 ある地方の中堅サービス業A社からベンダー選定のコンサルティングを依頼されたときのこと。聞けば,大手ITベンダー3社から業務パッケージ導入の提案を受けたのだが,コンピュータの素人である社長には,見積もりの妥当性が判断できないのだという。

 「安ければよいというわけではないことは理解している。専門家の目で見てほしい」。

 社長にこう言われて調べたら,3社の見積もり金額がばらついている理由はすぐに分かった。A社はRFPを作成しておらず,ベンダーと場当たり的にやり取りしてきたことが最大の原因であった。筆者はコンサルタント数人を率いて,現地に2週間泊まり込むことにした。システムへの要求を整理し,ベンダー3社との面談を繰り返した。

 その結果,X社の提案が最適であるとの結論に至った。しかし,X社の見積もり金額は1億3000万円。A社の予算は1億2000万円だったので,1000万円の開きがある。

 そこで,筆者のコンサルティング・チームとX社のSEチームとでより詳細な検討を重ねた。運用に支障のない範囲でハードウエアをスペックダウンしたり,あれば便利だがなくても運用でカバーできる機能を削ったりした。苦労の末,何とか1億700万円まで見積もり金額を下げて予算内に収めることができた。

 当初は「東京から来たコンサルタントが生意気なことを言う」と反感を持っていたX社のSEたちも,筆者を信用してくれるようになった。納得のいく見積もりを一緒に作ったという連帯感も生まれた。この雰囲気ならプロジェクトは成功する確率が高いと感じた。

 ところがである。A社の社長に最終見積もりを報告したところから,事態がおかしな方向に転がり始める。

 社長は言う。

 「コンサルの先生もなかなかやるね。けど私ら商売人の交渉はもっとすごいから。まあ見ていてください」。

 社長は予算以内に見積もりが収まったことで欲を出した。強引に1億円未満に値切ろうと考えたのである。

 9990万円――。

 ディスカウント・ショップの値札の発想で,社長は値引き交渉を始めた。A社はその地方では有力企業だ。多くの仕入れ業者と取引があり,価格交渉力も強い。X社とも過去にいくつか取引があったようだ。どのような交渉力と政治力を発揮したのかは分からないが,1週間後に見積もりは本当に1億円を下回った。

 筆者は,X社がその値引きを飲んだことに驚くとともに「まだまだ自分たちの見積もり精査は甘いのか」と落ち込んだ。同時に「やはり商売人はすごいな」と感心したものである。

 その後,X社のSEたちに会ったとき,この値引きが取り返しのつかない暴挙だったことを知った。SEから表情が消えていた。筆者との信頼関係も崩れ,元のそっけない対応に戻っていた。彼らは上司から「値引きによりプロジェクトとしては利益が出ない」「埋め合わせとして次期のパソコン一括購入を約束してもらった」という裏話を聞かされていたのだ。真摯に顧客のことを考えて見積もり金額を削った努力が,政治的判断で無為にされたことを彼らは悔しがった。

 プロジェクトはスタートしたが,SEたちのやる気が回復することはなかった。彼らもプロだから,ノルマは淡々とこなした。しかし,前向きな提案は一切ない。何かあると「それは契約の範囲外なのでできません」と言うのが常套句となってしまった。「一応動く」ものはできたが,エンドユーザーからの不満は大きかった。

 開発プロジェクトの成果は作る人間の情熱によるところが大きい。700万円を値切ってSEのやる気を潰したことで,その数倍の損をしたのである。

永井 昭弘(ながい あきひろ)
1963年東京都出身。イントリーグ代表取締役社長,NPO法人全国異業種グループネットワークフォーラム(INF)副理事長。日本IBMの金融担当SEを経て,ベンチャー系ITコンサルのイントリーグに参画,96年社長に就任。多数のIT案件のコーディネーションおよびコンサルティング,RFP作成支援などを手掛ける。著書に「RFP&提案書完全マニュアル」(日経BP社)