岩井 孝夫
佐藤 三智子

本記事は日経コンピュータの連載をほぼそのまま再掲したものです。初出から数年が経過しており現在とは状況が異なる部分もありますが,この記事で焦点を当てたITマネジメントの本質は今でも変わりません。

情報システムの開発を進めていくうちに,当初の目的を見失ってしまうことは少なくない。情報システム部門やベンダー,ソフト会社,あるいは現場の担当者が,あまりにも開発そのものに執着しすぎることが原因の一つだ。この問題は,適切なキーマンや決裁権限のある立場の人との間でコミュニケーションを定期的に続けていれば,早い段階で気がつく。そうすれば,気づいた時点で軌道修正ができる。

 精密機器メーカのA社では,1年前に全社情報システムの再構築プロジェクトが始まった。きっかけは,「21世紀に業界をリードできる企業に必要な情報武装」という社長の掛け声である。各部門の代表で構成する再構築プロジェクト・チームが発足し,リーダーには,情報システム部門の部長が就任した。現場の問題点や要望を吸い上げて基本計画書を作成するのに約3カ月,その後にシステムの根幹を形作る基本設計に3カ月をかけた。

 新システム構築の基本方針は,「今後のビジネスの多様化や周辺環境の激変にも対応できること」に決まった。ERPパッケージの導入が提案され,プロジェクト・チームとして採用を決定した。「ERPパッケージで果たして現場で発生する日常的な処理に細やかに対応できるのか」という懸念も現場から出たが,流れは変わらなかった。理由は,今後は業務処理自体も標準化が不可欠であるという考え方が,プロジェクト・チームで大勢を占めたことである。

 プロジェクト・リーダーの情報システム部長は,プロジェクト内での合意をとるだけでもこんなにもめるのだから,経営陣の承認はさぞ大変だろうと覚悟を決めた。しかもERPパッケージの価格は決して安くない。この不況下に億という単位の投資をすることにすんなり承認がおりるとはとても思えなかった。そこでできる限り周到に,将来に得られる利益,期待できるコスト削減,業務改善による会社のスリム化などを定量化して説明することにした。

 ところが経営陣の承認は案外すんなりともらえた。「『21世紀へ向けて』がスローガンなのだから,情報システム開発も今までと同じではいけない。ERPパッケージを入れることで業務全体が改善できるなら,財産となるはずだ。積極的に推進するように」というコメントであっさり承認された。

 一番難関と思っていた部分がすんなり通ったことで自信をつけた情報システム部長は,具体的なシステム化に着手した。ベンダーを選定し,各業務別に現場担当者と情報システム部門の担当者を決めて仕様固めに入った。基本設計ができた時点で,プロジェクト・チームは解散し,以降の取り組みは新たに設けたワーキング・チームが担うことになった。

 ところが,実際の開発段階に入ってみると,全社のシステムをERPパッケージにのせるのは思いのほか大変だった。現実の業務に当てはめようとすると細かいところでパッケージの仕様が当てはまらない部分が多い。業務を変えてパッケージに合わせるといっても限度があった。ワーキング・チームの各メンバーはそれぞれの業務現場との打ち合わせに翻弄され,予定していた詳細設計のスケジュールはどんどん遅れていった。経理担当役員からは再三システム開発費の詳細を提出するよう要請があったが,仕様の詰めができていないので出しようがなかった。

 ようやく詳細な仕様が固まった段階で再度経営会議に諮り,金額的にも最終的な決済を得ることになった。そのころにはシステムの最終的な形もほぼ見えてきたし,画面イメージもある程度できていた。スケジュールはだいぶ遅れてはいるもののなんとか理解を得られるであろうと考えてシステム部長は会議に臨んだ。

 ところが経営会議では前回とは打って変わって批判的な意見が続出した。「開発費用がかかりすぎる」,「ERPパッケージを導入したメリットが出ていない」,「予定が大幅に遅れている」,「このままではERPパッケージの導入自体を見直さねばならない」などと情報システム部長を責める声が相次いだ。いったいどうしたらいいのか,情報システム部長は途方にくれている。