文:山田 肇=東洋大学経済学部教授
米国政府の情報アクセシビリティ調達基準の改訂原案が、まもなく(2008年4月3日)公表となる見通しだ。欧州でも情報アクセシビリティを公共調達の要件にしようという動きがあり、そうなれば世界で基準をそろえていこうという潮流へと発展していくことも考えられる。日本にとっても、とりわけ製品を輸出する企業、情報バリアフリーやユニバーサルデザイン施策を推進する行政機関の関係者には、米国の新基準の原案は重要な情報となるだろう。米国の改訂原案作りに参加した東洋大学経済学部の山田肇教授による緊急寄稿をお届けする(編集部)。

 連邦政府の購入する情報通信機器・サービスは、障害者も含め誰もが利用できるものでなければならない。利用できないときには、利用者は苦情を申し立てることができ、最終的には法廷で争うことも可能である。――こんな規制が米国で2001年から施行されてきた。リハビリテーション法508条に基づく規制である。

 世界は情報社会に向かって進んでいる。しかし不用意にそれを受け入れていくと、連邦政府における障害者雇用の機会が失われるかもしれない。連邦政府の提供する情報通信機器・サービスが利用できない市民が出るかもしれない。それを防ぐための規制である。多くの州政府でも同様の規制が施行されている。

 それでは、どんな情報通信機器・サービスであれば利用可能であるといえるのか。それを記述するのが情報アクセシビリティ調達基準である。現行の規制と調達基準については次のサイト(http://www.section508.gov/)にくわしく説明があるので参照されたい。

 この調達基準について、今、改訂の作業が進んでいる。情報通信はムーアの法則にしたがって技術が進歩していく。2001年の基準はもはや古臭くなってしまったからだ。

改訂作業のきっかけと諮問委員会の役割

 2001年以降に市場に登場し、社会生活に大きな影響を与えた機器の例として、アップルのiPodがある。

 点字ラベルをつけたCDなら、視覚障害者が聴きたい音楽を見つけるのは比較的簡単だ。それに比べて、ダウンロードされた音楽をiPodの中から探すのは、視覚を用いることができないとかなり難しい操作になる。このような新しい機器やサービスに対してもアクセシビリティを要求できるようにして、連邦政府で調達できるようにしよう。――それが改訂作業のきっかけであった(関連記事)。

 改訂作業のために、アクセスボード(United States Access Board)を事務局として諮問委員会が組織された。アクセスボードは省庁横断的に障害者問題を扱う連邦政府の機関で、その委員は大統領が任命する政治ポストである。

 諮問委員会(Telecommunications and Electronic and Information Technology Advisory Committee、以下TEITACと略す)の発足は2006年9月。それに先立つ4月に連邦政府の官報(Federal Register)に委員募集の公告が載った。

 多数の応募の中からアクセスボードが人選して、9月に最初の会合が開催された。そこで数名が追加され、合計42団体でTEITACは構成されている。その中には、障害者団体・連邦政府機関・州におかれたアクセシビリティ規制機関・企業の代表や、自営のコンサルタントや大学教員といった専門家が含まれている。

 それらに加えて、欧州委員会の職員、カナダ政府産業省の職員、オーストラリアの視覚障害者団体代表、それに日本からの専門家(筆者)が諮問委員として選任されていたことは、今回の特徴である。2001年の調達基準作成の時には米国国内だけから委員を集めていた。それが後々、貿易障壁を作るものとの国際的な批判を招いた。それを反省して、主要国の関係者を今回は集めたのである。

 TEITACの情報は次のサイトで閲覧できる。このサイトには委員の集合写真が掲載されている(図1)。車椅子の利用者、盲導犬を連れた人など、多様な委員が集まっている様子がわかるだろう。

図1●委員の集合写真
図1●委員の集合写真 TEITACのサイトより)

 障害を持つ委員に配慮して、会合には要約筆記者と手話通訳者が用意されている。資料はすべて点字でも提供される。遠隔から電話で参加するのも可能で、その場合には、聴覚障害者に配慮して電話リレーサービスが準備される。

 議論は徹底的に行われ、打ち切られることはない。こうして、できる限り多くの、さまざまな視点からの声を反映して、民主的に調達基準を作成しようという努力が重ねられているのである。

改訂案の特徴--製品別分類から機能別分類へ

 改訂作業が進み、新たな姿が見えてきた。そのポイントをいくつか紹介しよう(表1。なお、最新ドラフトはこちら)。

表1●改定原案のポイント
表1●改訂原案のポイント

 今までの調達基準は、ソフトウェア、ウェブ、通信機器、ビデオとマルチメディア、クロズードプロダクト(与えられたままに利用しなければならない機器)、パソコンという、製品分類に沿って作成されていた。しかし、市場にはそれらを複合した機器があふれている。そこで、製品分類ではなく機能に注目して規定を作成するという考え方が打ち出された。これが改訂案の第一のポイントである。

 改訂案では、一般的な原則の後に、機器が音声で出力する場合、電子的なコンテンツを提供する場合、リアルタイムの音声通信機能がある場合、といった項目が並んでいる。このような規定のほうが製品分類に着目するよりも長い期間利用できるだろう、という期待を込めての変更である。

 第二点は試験可能性が強調されていること。調達基準に準拠した機器を購入したはずなのに利用できないと苦情を申し立てられる。そんな事態を避けるためには、基準を満たしているかいないかは試験できなければならない。それを意識して個々の規定案が作られていった。

 国際整合を意識したのも大きなポイントである。個々の規定の後に、それがどのような国際・国内標準を参照しているかを示す「External References」という欄が設けられた。TEITAC会合でも国際標準に準拠しているかは常に話題になった。これに関連して、日本から国際標準やJIS(日本工業規格)に関する情報を提供した。それも功を奏して、日本国内の基準とあまり乖離しない形で原案ができつつある。

 このほか、認知・言語・学習障害に対する配慮が書き加えられたことも、変更点である。

これからの予定--4月3日の最終会合で原案完成・公表へ

 TEITACの最終会合は4月3日に予定されている。ここでTEITACとしての最終原案が完成し、公表される。

 諮問委員会の活動は終了し、改訂原案の扱いはアクセスボードに委ねられる。

 アクセスボードはおよそ一年をかけて連邦政府内の各機関との調整を済ませることになっている。最初に説明したように、場合によっては、調達担当官が裁判にかけられる恐れもあるため、各機関は慎重に改訂原案を検討するだろう。その結果、技術的なハードルが高いと判断されれば、記述が緩和されるかもしれない。

 情報アクセシビリティの改訂調達基準が施行されるのは、早くても2009年の夏ごろだろう。この一年の猶予の間に日本企業が改訂原案をよく勉強し、対応策を立てておけば、前回のように輸出に支障をきたすといった事態は避けられると思われる。

 同じように情報アクセシビリティを公共調達の要件にしようという動きが欧州にもある。先進国での基準の整備が進んでいけば、世界各国で同じ基準を用いようという意見が数年後には出てくるかもしれない。そうした意味もあり、日本の企業や行政機関は、米国での今後の動きから目を話すことはできないだろう。