村上氏写真

村上 智彦(むらかみ・ともひこ)

1961年、北海道歌登村(現・枝幸町)生まれ。金沢医科大学卒業後、自治医大に入局。2000年、旧・瀬棚町(北海道)の町立診療所の所長に就任。夕張市立総合病院の閉鎖に伴い、07年4月、医療法人財団「夕張希望の杜」を設立し理事長に就任同時に、財団が運営する夕張医療センターのセンター長に就任。専門分野は地域医療、予防医学、地域包括ケア、チーム医療。

* このコラムは、メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」の連載コラム「村上智彦が書く、今日の夕張希望の杜」を1カ月分まとめて転載したものです(それぞれの日付はメールマガジンの配信日です)。


■12月12日 連載開始にあたって


皆さんこんにちは。「医療法人財団夕張希望の杜」の理事長兼医師の村上智彦です。

ひょんな事から前佐賀市長である木下さんと知り合いになり、メールマガジンを使って夕張で起こっている事を広く日本中に伝えてほしいと頼まれました。

夕張市の出来事はマスコミを通じて随分報道されてきましたが、自治体の破綻、医療崩壊といった現象は今では全国的な問題となってきました。自分の住む町の医療の崩壊という出来事は、そこに住む皆様には実感のない、考えてもいないことかもしれません。

なぜなら多くの夕張市民は、「何とかなる」と思っていたのですから。

私は北海道の瀬棚町という小さな町で、予防医療を実践した地域医療に取り組み、その事がNHKの番組などに取り上げられました。目指していたのはお年寄りが元気で生きがいを持って暮らせる町創りでしたが、市町村合併の波にのまれて辞職しました。

その後夕張市の破綻が起こり、2007年4月から新たな挑戦を始めました。

夕張市は破綻した自治体なので財政的な援助は一切ありませんし、施設の痛みもひどく、維持管理だけでも莫大な経費がかかります。また旧産炭地である夕張の住民意識というのは、「病院はあって当たり前、救急車も使って当然」というコンビニ感覚で医療資源を浪費しました。

結果的に医師が立ち去って行きました。

私に理解出来る事は単純でした。「今までのやり方では駄目だ」という事です。せっかく破綻したのですから夕張市は日本で唯一「改善」ではなくて「改革」ができる町だと考え、腰を据えて格闘する事になりました。

おそらく安全保障の中核である医療が消えれば、この町も消えていくのだと思います。

夕張は、自治体の破綻、医療崩壊、地域間格差、少子高齢化等、ある意味日本の縮図となっています。日々の我々の取り組みは試行錯誤の毎日ですが、そんな毎日をお知らせすることで第二の夕張が出ないですむことを祈っています。

どうぞ、宜しくお願いいたします。


■12月28日 マスコミの論調と現場の感覚


私が閉鎖前の夕張市立総合病院に赴任したのは、昨年の12月25日でした。当時の夕張はすでに破綻しており、連日マスコミに取り上げられ、171床の総合病院の廃止は大きな問題になっていました。

マスコミの報道では「総合病院が潰れて高齢者の多い住民の生命の危機、町の存続の危機」といった論調でした。

しかし実際に現場にいた私の印象は全く違うものでした。171床の総合病院といっても常勤医師が2名で、外来、入院、透析、救急をこなすという、勤務する医師にとっては悲惨な職場でした。

住民の多くはすでに他の医療機関に通院しており、総合病院はコンビニ受診のための医療機関であり、行き場のない高齢者の受け皿というのが主な目的となっていました。

本来医療をやるためにいる多くの職員は、介護と時間外の受診のために働いているような状態だったと思います。

夕張には医療機関はここを含めて5つあります。また夕張は決して陸の孤島ではありません。15-20分車で走れば、隣町の病院があり、30分程度で総合病院があり、1時間で札幌があります。

離島などで勤務していた私の目から見れば地理的には恵まれていて、総合病院が無くなる事が医療の後退や生命の危機だとは到底思えませんでした。

入院患者さんも20名程度で、その殆どは医療より介護の必要な人達であり、すでに機能的には診療所レベルになっていて、働いている医師が大変なので、私が急遽応援に入ったというのが実態でした。

職員もすでに3月一杯で全員解雇される事がこの時点で決まっており、職員も住民も先行きの分からない不安に包まれていました。私が赴任した時点でも既に院長も看護部長さんも辞めていて、多くの看護師さんや職員が次の職場を探し、あるいは考えていたと思います。


メールマガジン「夕張市立総合病院を引き継いだ『夕張希望の杜』の毎日」とは?

財政破綻した夕張市と共に破綻した夕張市民病院。その経営を引き継いだ「医療法人 夕張希望の杜(もり)」を広告収入で支援するメールマガジン。購読は無料。運営コストを除いた広告掲載料が「夕張希望の杜」に寄付される。発行者は木下敏之氏(前・佐賀市長/木下経営研究所所長)。村上智彦医師のコラムのほか、病院のスタッフ、関係者などの寄稿を掲載している。