欧州では,通信事業者への規制緩和が進んでいる。特に携帯電話事業者に対しては,必要最小限の規制を課す方向に動きつつある。これは,「EU各国の携帯電話市場は十分に競争的である」との判断による。例えば,MVNO(仮想移動体通信事業者)への回線提供を義務化しようという動きがあったが,これは立ち消えとなった。日本の総務省は,欧州の規制動向を参考にすることが多い。欧州委員会の今回の決定は,日本の規制環境にも影響を及ぼす可能性がある。

(日経コミュニケーション)

 欧州委員会は2007年11月13日,EU各国で通信事業の事前規制の対象となる市場をリストアップした「関連市場勧告」の更新版を発表した。関連市場勧告は,大きなシェアを持つ事業者が市場を不公平に支配しないことを目的としたものである。この勧告で指定した市場について,EU各国の通信当局は市場分析の実施が義務付けられる。

 勧告が更新された結果,事前規制の対象候補となる市場の総数は大幅に減り,既存事業者にとって有利な規制緩和となった。具体的には,従来は固定通信,移動通信での18市場が規制対象だったが,2007年11月の採択版ではこれが7市場に削減された(表1)。そして2007年12月,勧告の更新版が官報に掲載された。

表1●「関連市場勧告」(事前規制対象市場のリスト)の2006年草案と2007年最終版の比較
規制対象となる市場を○,規制対象から外れる市場を×で示した。灰色の項目は,採択版で事前規制の対象から外れる市場。15~17が移動通信にかかわるもの。
  2006年6月草案 2007年12月最終版
小売市場 1 固定公衆網アクセス(住宅)
(1市場に統一)

(1市場に統一)
2 固定公衆網アクセス(非住宅)
3 固定公衆網による市内・国内電話サービス(住宅) × ×
4 固定公衆網による国際電話サービス(住宅) × ×
5 固定公衆網による市内・国内電話サービス(非住宅) × ×
6 固定公衆網による国際電話サービス(非住宅) × ×
7 専用線の最小限の一式 × ×
卸売市場 8 固定公衆網通話発信
9 個別固定公衆網通話着信
10 固定公衆網における中継サービス ×
11 卸売(物理)アンバンドルアクセス
12 卸売(バーチャル)ブロードバンドアクセス
13 専用線の卸売終端セグメント
14 専用線の卸売中継セグメント ×
15 移動体公衆網のアクセス・通話発信 ×
16 個別移動体網への音声着信
(SMS含む)

(SMS含まず)
17 移動体公衆網における国際ローミングの国内卸売 ×
18 エンドユーザーへの放送コンテンツ伝送サービス ×
 出展:EU資料

 こうした関連市場勧告を見直す議論は,2006年初めから繰り返し行われてきており,今回の決定までにほぼ2年が費やされた。欧州委員会は最初の案を2006年6月に発表し,小売市場の規制撤廃を中心に規制対象の市場数は12に削減した。そして今回の最終版では,さらに卸売市場までもが規制緩和の対象になった。

 特に移動通信では,リストに残った規制対象の市場は音声着信サービスの卸売りのみとなった。今回は,移動通信に絞って規制緩和の方向性を見ていこう。

MVNOへの卸売り義務付け案は消滅へ

 もともと移動通信は固定通信に比べ競争が進んでおり,従来から事前規制の対象となるサービスは卸売市場だけだった。具体的には,(1)アクセス・発信,(2)音声着信,(3)国際ローミングの三つの卸売市場が規制対象だった。新しい勧告では,このうちアクセス・発信市場と国際ローミング市場が規制対象のリストから消えた。

 もっとも,国際ローミング市場の実質的な規制は今後も継続する。2007年夏にEU全域で共通の料金規制を適用する規制方式が決まったからだ。2007年から2009年までの3年間,ユーザーがEU域内の渡航先で携帯通話を利用する際の「国際ローミング料金」には,卸売料金,小売料金ともにプライスキャップが課される。その結果,各国当局が市場分析を行う義務が消滅した。つまり国際ローミング市場の場合,規制を課す主体が国内当局からEU当局に移っただけといえる。

 一方,アクセス・発信市場は純然たる規制緩和である。アクセス・発信市場とは,携帯電話の加入および発信サービスの卸売りのこと。これにより,ネットワーク設備を持たない企業が携帯サービスを提供できるようにする。いわゆる,MVNO(仮想移動体通信事業者)への回線の卸売りである。

 この市場の規制は,MVNOへの回線提供の義務付けを意味する可能性を持っていた。そのため,特に通信業界の関心が集まっていた市場である。これをリストに含めるかどうかは,EUでも長年の懸案事項となっていた。しかし,新勧告で規制対象のリストから外れ,既存の携帯電話事業者はMVNOへの回線提供義務を負わずに済む。

ただし,事後規制によるMVNO義務付けはありうる

 アクセス・発信市場に関しては,これまでも論争が絶えなかった。例えば,支配的事業者の決定を巡って国内規制当局と事業者が紛争になった挙句に当局が敗訴するケース(アイルランド),欧州委員会と国内当局の意見が食い違うため決定が見送りになるケース(フランス)などがあった。これらの出来事は,携帯電話事業者にMVNOへの回線卸売りを義務付ける必要性の立証が難しいことを物語っていた。

 欧州委員会自身は,アクセス・発信市場をリストから除外した理由を以下のように述べている。

 これまで各国が提出した市場分析の結果,大半の国でアクセス・発信市場を競争的とみなしている。従って,同市場は事前規制の対象として勧告に含めるための3基準を満たしていない(注)。実際,過去に移動通信のアクセス・発信市場を規制したのは,単独支配による支配的事業者を指定した国が2カ国,共同支配による指定をした国が3カ国の合計5カ国である。これらは,27加盟国全体の中では少数派に過ぎない。

(注)勧告の3基準とは,(1)持続的な高い参入障壁が存在する,(2)経時的に有効競争に向かう傾向が存在しない,(3)競争法に基づく事後規制では不十分である――の条件を指す。ある市場を勧告に含めるには,この三つすべてを満たさなければならない。

 今後,アクセス・発信市場を規制対象としたい国は,勧告の3基準への合致を示す必要が出てくる。標準的な事前規制の枠外となり,規制当局がその決定を通すのは従来よりも難しくなるだろう。事業者にMVNOへの回線卸売りを義務付けたいときは,競争法に基づく事後規制という方法が適当と判断されるかもしれない。

 なお,競争法に基づく事後規制とは,競争当局(独禁当局)による取り締まりのことで,市場支配力を濫用したなどの事実に対して法的執行を行うものである。一方,関連市場勧告による事前規制は,支配的事業者に対して差別禁止,接続料金規制などの一定のルールをあらかじめ定めておく規制である。

 競争当局のアクションを脅威として利用することで,正式な事前規制を制定する手間を省ける場合もありそうだ。例えばイタリアでは,規制当局がアクセス・発信市場を非規制としたが,競争当局が事業者の反競争的行為について調査を進めていた。その過程で,ボーダフォンによるMVNOの受け入れ公約を引き出すなど事前規制なしで一定の結果を得ている。

音声着信市場は規制続行もSMSは必須にしない

 一方,音声着信市場は,着信料を規制するために事前規制対象のリスト含められた。着信料とは,着信する通話に対して着信側の事業者が請求する網使用料のこと。つまり,発信側の固定電話/携帯電話事業者が,着信側の携帯電話事業者に支払う料金である。

 この料金は,着信側事業者が独占的であると高止まりしがち。放置すると,固定電話やIP電話からの携帯電話宛て通話料金まで高額になるため,事前規制の対象となっている。

 音声通信の着信料規制の継続は従来から特に異論はなく,勧告リスト入りはもともと確実視されていた。争点となっていたのは,規制対象にSMS(ショートメッセージサービス)まで含めるかどうか。SMSの料金が高いという消費者の不満は強く,一部の国ではSMSの着信料の規制に動き始めていた。

 欧州委員会は,2006年6月に公開した草案ではSMS着信を勧告リストに含めると提案していた。しかし,今回発表した2007年12月最終版のリストでは,SMS着信に触れていない。また,SMS着信がリストから落ちた理由が明確ではない。欧州委員会は「SMS着信市場を規制対象とするか否かは,各国当局の判断に任す」と述べている。

 既にフランスはSMS着信を規制対象にする方針で動いており,EUの承認を得ている。英国も今後フランスと同様の方向に進む予定だ。逆に規制当局がSMS着信を規制しない方針にしても,それがEU標準から逸脱するわけではない。

 ただし,音声着信とSMS着信を「着信」でひとまとめにして規制することは許されないようだ。スロベニアの規制当局は音声着信とSMS着信を同一市場で扱おうとしたところ,欧州委員会から「各市場を個別に扱うように」とのコメントを受けている。

*       *        *

 新勧告で事前規制の対象となる市場の数が削減されたことは,既存の通信事業者からすれば良いニュースだろう。また,市場分析の作業が負担となる小規模のEU新加盟国にとっても朗報といえる。

八田 恵子(はった けいこ)
情報通信総合研究所 主任研究員
1996年情報通信総合研究所入社。固定,移動通信の接続料金,規制・政策を中心に研究。現在,通信・放送融合領域におけるEUの政策動向に焦点を当てている。


  • この記事は情報通信総合研究所が発行するニュース・レター「Infocom移動・パーソナル通信ニューズレター」の記事を抜粋したものです。
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