筆者はWindows 386以降すべてのWindowsバージョンでそうしてきたように,本質的にはNT Workstation 6.0であるWindows Vistaについても,本を書いたり,クラスを教えたり,コンサルティングをしたりして,初期段階からリリースまでその進展を見守ってきた。実際のところ,筆者はVistaについて,過去の多くのWindowsバージョンよりも詳細に分析したのである。

 こうした経験から言わせてもらうと,筆者は大きな当惑を感じずにはいられない。筆者がこの記事を執筆しているラスベガスのホテルの一室に充満している昔のタバコの匂いと同じように,反Vista的な論調がメディアにあふれているからである。

 Vistaに関して,専門家は次のように述べている。「Vistaはバグだらけだ」「Vistaを使っている人などいない」「事実上,過去,現在,未来のすべてのハードウエアについて,対応するドライバが欠けている」「Vistaがあまりにも嫌われているので,実際にVistaを購入した人の多くはWindows XPをシステムに再インストールしている」。傍観者がこうした批判を聞いたら,ビル・ゲイツ氏はそのうち切腹してしまうに違いない,と考えるだろう。

 筆者は個人的に,人々がVistaに移行しようがしまいがどうでもよいと考えている。筆者が何度も述べているように,昔はPCソフトウエア界における変化のペースが非常に速くて,ソフトウエアに関連する重要な変化や進化が毎年のように発生していた。例えば1985年に,「同じバージョンのソフトウエアを6年間にわたって使うことができる」という発言をしたら,多くのPC専門家に笑われていたことだろう。

 しかし,それ以後変化のペースが劇的に低下したため,今では8年6カ月前のソフトウエア(Windows 2000)を活用している人々がたくさんいる。さらに筆者は未だに,Windows 2000の前の製品で12歳になるWindows NT Server 4.0を使っている人に出くわすことがある。それを考えると,XP(今月で6歳になる)を捨ててアップグレードする必要性を感じない人がいるのも,至極当然のことに思える。

 筆者だって,もし車のメカ部分が経年劣化しないのだったら,今のHonda Insightに一生乗り続けるかもしれない。もちろん,数週間前に大きなオスのミュールジカをはねたときにできた損傷をディーラが上手く直してくれれば,の話だが。筆者は車に関しては,「アップグレード」を望まない。車にはもう革新の余地があまりないからだ。そして,ソフトウエアの革新のペースが車にもっと近づけば,やがて25年間の寿命を持つソフトウエアが登場するかもしれない。ただしそれには,Microsoftがアップグレードを押し付ける手段として,製品サポートの停止という脅しを使うのをやめれば,という条件がある。

 ソフトウエア購入者はいつの時代も,新しいOS,さらにサービス・パックや新OSへのパッチに対して,用心深く対応してきた。筆者の覚えている限り,Microsoftが同社のいずれかのOSを対象とするService Pack Xを提供するたびに,次のような一連の出来事が発生する。「私はService Pack Xを導入するという危険は冒さないよ」と一部の「専門家」が言う。そして,「私なら,Service Pack X-1を使い続ける」というアドバイスをする。このアドバイスは賢明なものに思えるが,よく考えてみると,1年前にService Pack X-1がリリースされたとき,それらの専門家は「安定」したService Pack X-2を使い続けるよう助言したではないか。

 映画「ウェインズ・ワールド」でダナ・カーヴィの演じる「ガース」が発した次の言葉(わかりやすいように,表現を変えてある)が,そうした専門家をめぐる状況を上手く言い表していると思う。「私たちはテクノロジーの専門家だ。私たちは変化を恐れる」。筆者のようなジャーナリストが,新しいバージョンのソフトウエアに対して偏見を持つ人々をいつでも,そして大量に見つけられるのはそのためだ。

 筆者が言いたいのはこういうことだ。「NT 4.0やWindows 2000,2003,XPが最初に登場したときも,それらに批判的な人々はいた。そして,新しいOSのドライバ・サポート状況に不満を持つ人々は,いつの時代にも存在する。さらに,新しいOSにアップグレードした後,古いOSに戻る人々も,常に存在するのだ」。Vistaに対する人々の反応は,XPが登場した6年前の反応とそれほど違ってはいない。それなのに,Vistaに対する人々の反応がこれほど大々的にメディアで報じられているのは,なぜなのだろうか?

 ああ,そうか。やっとわかった。今は,私たちジャーナリストが時折経験する「記事にする価値のあるものが何もない」という状況なのだ。そうだ。絶対そうに違いない。HPの盗聴事件は,なぜ私たちがそれを必要としているときに起こらないのかだろうか? 次回は,「Vistaは嫌い」または「Vistaが大好き」といった読者の意見を紹介しよう。

Vistaが皆に「嫌われる」本当の理由は何なのか?(後編)