「ここ数年,風邪をひいたことさえないよ」と言った翌日に風邪をひく。「生まれてこのかた,病院通いなんてしたことないね」と自慢した翌週に,心臓発作で病院に担ぎ込まれる。

 不思議なもので,健康ぶりを吹聴した途端に病気に見舞われるというのは,よくある話だ。しかも,病気らしい病気にかかったことがない人ほど,いざ病気になると生死にかかわる大病だったりする。逆に,年中痛いの辛いのとボヤいて病院通いしている人ほど,病気そのものは大したことなく,結果的に長生きしたりする。

 なぜ,こんなことになるのだろうか。ちょっと考えれば理由は明らかだろう。健康に対する日々の自覚の違いである。

 身体が弱いと自覚している人は,普段から自分の健康状態に気を配り,ちょっとした異変でもすぐに察知して病院に駆け込むものだ。そのため,大きな病気を予防したり早期発見したりすることが可能になる。かかりつけの病院で長年診てもらっている医師がいる場合は,過去の診療データに基づいて,より的確な診断や治療を受けられることも一因だろう。

 逆に,健康であることが当たり前だと思っている人は,身体の異変に気づくのが遅いし,少し変だと思ってもなかなか病院に行こうとしない。当然,気づいたときには手遅れ,というケースが多くなる。

 情報システムにも全く同じことが言える。普段から障害ばかり起こすシステムと,数年にわたって1度の障害もなく安定稼働を続けているシステムでは,いざトラブルが起きると前者よりも後者のほうが大規模かつ悪質なケースが多い。

 筆者がSE時代に担当していたシステムにも,優良なサブシステムと“札付き”のサブシステムがあった。その札付きの1つであるサブシステムAは年中トラブルを起こすので,担当者から「もういい加減にしてくれよ」と不平不満が飛び交い,「最低の品質」と揶揄されていた。だが,不思議と1つひとつのトラブルは小さく,業務への影響も軽微だった。あまりにトラブルが頻発するので,担当者はみなそのサブシステムの構造を熟知しており,障害修復にも時間がかからなかった。トラブルが多いのはもちろん問題だが,今振り返ってみると,実は扱いやすいシステムだったのかもしれないと思う。

 一方,長年トラブルらしいトラブルもなく安定稼働していたサブシステムBはある日,経営そのものを揺るがしかねない大きな障害を引き起こした。復旧作業が長期化すれば数十億円もの損失が出る可能性があったので,強心臓だけが取り柄の筆者も思わず青ざめたほどだ。しかし,これまで安定稼働していたので,システムの構造を詳細に分析した経験のある者がおらず,原因究明に予想以上に多くの時間を要した。結局,1週間不眠不休で,ようやく問題を解決したことを覚えている。

 システム部門は札付きシステムや札付きプログラムを,たびたび障害を引き起こす“犯人”としてマークする。しかし,最も恐ろしい障害は,マークしていたシステムやプログラムではなく,意外とノーマークのシステムやプログラムによってもたらされるものだ。「ノーマークのシステムをマークしろ」と言うと言葉遊びになってしまうが,要は先入観を捨てて,すべてのシステムに対する警戒を怠るな,ということである。

 すべての人間に強制的に検診を受けさせるのは難しいが,システムの場合は時間と体力をそれなりに費やす覚悟さえあれば,1年や2年に1度くらいの頻度でテストすることは可能だろう。札付きシステムはもちろん,優良システムであっても,定期的なチェックを欠かしてはならない。

 人間ドックならぬ,システム・ドック。思わぬところからやってくる障害に肝を冷やさないためには,それしか手がない。システムにも定期検診は不可欠なのである。

岩脇 一喜(いわわき かずき)
1961年生まれ。大阪外国語大学英語科卒業後,富士銀行に入行。99年まで在職。在職中は国際金融業務を支援するシステムの開発・保守に従事。現在はフリーの翻訳家・ライター。2004年4月に「SEの処世術」(洋泉社)を上梓。そのほかの著書に「勝ち組SE・負け組SE」(同),「SEは今夜も眠れない」(同)。近著は「それでも素晴らしいSEの世界」(日経BP社)