「横山さん,確かEAについて詳しかったよね?」――。
筆者が担当する製造業A社の情報システム部・山田次長(仮名)から,こう声を掛けられた。ある年の秋のことである。筆者は当時,プリセールス(提案)主体のITアーキテクトを担当していた。勤務する日本IBMでは,EAに関するワーキング・グループのリーダーも務めていた。そのことを聞きつけた山田次長が,冒頭のように声を掛けてきたのだ。どうやら山田次長は,自社の情報システムの将来を考えたときに,EAが役に立つと思ったようである。
「そろそろやってみるかな」。ワーキング・グループによる研究も半年を過ぎていたので,筆者も実践に活かしたいと思っていた。そんな矢先だったので,山田次長を全面的に支援しようと決意した。
EAのスキルを活かしてみたい
ちなみにEAとは,Enterprise Architectureの略で,ビジネス戦略とIT戦略を結び付ける手法のこと。個々のシステムをデザインするときに従うべき規範や,業務とシステムの“あるべき姿”に到達するためのプロセスを定める。これにより,システムの全体最適化を図るわけだ(図1)。詳しくは関連記事を参照してほしい。
図1●EA(Enterprise Architecture)の位置付け [画像のクリックで拡大表示] |
先行企業は当時,既にEAの導入を進めていたところだった。そこで筆者は,EAについて一般的な導入手法や他社事例を説明しながら,A社との意見交換を深めていった。特に山田次長の意向を探っていくのが狙いだった。ある程度の意向が把握できたところで,社内のコンサルタントを巻き込み,具体的な導入提案につなげる腹づもりだったのである。
半年かかるところを3カ月で
山田次長とともに情報システム部の金子課長(仮名)も検討チームに加わった。この2人に対して数回に分けて説明会を開き,互いの理解を深めた。ちなみにA社では,情報システムの構築・運用をシステム子会社に任せている。そのため本社の情報システム部に在籍するのはマネジメント・レベルのメンバーだけで,担当者レベルのメンバーはいなかった。
2人への説明はスムーズに進んだ。ワーキング・グループでの成果が大きかったのだろう。筆者の会社には様々なプロジェクトを推進していくための開発プロセス体系があった。これは一種のベストプラクティスだ。EAについてもその導入体系が整備されていたので,筆者はこれをベースに推進すべきと考えた。この体系では多くのアクテイビティを実行し,多くの成果物を作成する。「これを全部実行できるのか?」という一抹の不安を抱えながらも,山田次長と金子課長に一つずつ説明していった。
なお日本IBM社内では,様々な導入事例に基づいて,EAの成功要因や典型的な導入パターンを整理していた。具体的には次の三つである。
- EAでは情報システムの全社レベルの最適化を目的とする。そのため経営層の協力と理解を得る
- EAでは全社レベルでビジネスとITを密接に関連付ける。そのためビジネス戦略の理解,ビジネス・アーキテクチャの定義から始める
- EAでは多くのアクティビティを実行しながら拙速を避けなければならない。そのため一般的な導入期間は6カ月から1年を要する
ところが3週間程度をかけて情報交換を重ねた結果,A社の意向はこうだった。
- 参加メンバーは情報システム部から6~7人程度
- 情報システムのあるべき姿を示し,そこに至る今後3年間のITロードマップを描きたい
- 期間は3カ月。年度末である翌年3月完了を目指すこと
まだ検討会には参加していない情報システム部長の協力は得られそうだった。しかし経営層の協力までは取り付けられそうもない。業務担当者の参加も期待できない。期間は3カ月。筆者は成功要因を満たしていないことを感じ取っていた。
「どうしよう…。あと3カ月でEAをベースとしたITロードマップを示さなければ…」。内心,不安がよぎった。ここからITアーキテクトである筆者の挑戦が始まることになる。
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