人に優しい情報システムの実現に向けて、「やるべきことは見えているが、そこに近付くために解決しなければならない課題は山ほどある」。ほぼ1年前に、こういったテーマへの対応を含め、日経コンピュータが25年先の情報システムがどうなるかを見据えた特集を企画した。本日もこの特集を公開する。当時指摘した内容は今も変わっていない。

 人に優しい情報システムの実現に向けては、技術だけを取っても課題は多い。人に優しくなければならないのに、現状のシステムは子供が答えられる簡単な質問にさえ、満足に答えられない。ここまで見てきた研究が順調に進歩したとしても、人間らしさとは何かを分析し、システムに取り入れるのが容易でないのは明らかだ。

 一方で、ITの研究が進むことにより、セキュリティやプライバシ、倫理といった問題がいっそう大きくなるのも間違いない。それが顕著なのは、第3回で紹介した脳インタフェースの分野だ。脳活動の計測技術が進歩すると、「計測結果から潜在的な精神病を予測する、さらにその結果に応じて保険の料率を変える、といったことが現実になる可能性が出てくる」(ATRの川人所長)。

 これらは社会的に許されるのか。さらに言えば、そもそも脳の情報をどこまで利用できるのか。「ここまで」という線を、誰がどのように引くのか。いわゆる「ニューロ・エシックス(脳神経倫理などと訳す)」は、脳研究で大きな問題になっている。

学際的な研究が不可欠に

 こうした問題に立ち向かうには、個々の技術者や研究者の活動だけでは不十分だ。「ITやネットワークの研究だけで、大きな革新は生まれてこない。今後システムを発展させるには、脳科学や文化人類学、心理学といった他の研究分野との融合が欠かせない」と、NICTの松島裕一理事は強調する。

 NTTデータの山本修一郎 技術開発本部副本部長も同じ意見だ(55ページに別掲記事)。「社会の中で情報システムをきちんと位置付けていないことが問題。そのためには、自然科学の能力を持つIT分野の人たちに加えて、『何のためにITを活用するのか』という分析にたけた、人文科学系の専門家と協力していくことが欠かせない」(山本副本部長)。

 こうした見方は、今回取材した識者の間でほぼ一致している。そのための体制を作ることこそが、2031年の人に優しいシステムに向けた最大の課題といえるだろう。

 すでにいくつかの分野では、積極的に学際的な研究に取り組んでいる。ユーザー・インタフェースはその一つ。「ユーザー・インタフェースの研究では、心理学や人間工学の専門家と一緒に開発を進めるケースが珍しくない。ヒューマンインタフェース学会でも異分野交流の3泊4日の合宿を必要に応じて実施し、徹底的に議論している」と、東芝の土井美和子 研究開発センター技監は語る。

 情報社会論を研究する哲学者・批評家の東浩紀氏(次ページに別掲記事)がSF作家の桜坂洋氏やエンジニアの鈴木健氏とともに進めている、2045年の日本を現実的な視点から予測する「ギートステイト」プロジェクトも領域を越えた取り組みだ。「ITの専門家が描いた未来像は、楽観的な色が濃すぎて、今一つ現実味がない」(東氏)。

 ギートとは、2045年における「若年単純知的労働者」のこと。テレビゲームで遊ぶ日々を送っているが、そこから収入も得ている。ギートがゲーム上で実行した処理や判断は、「マッピング・システム」によって、ゲーム内容とは関係のない仕事上の処理や判断に変換されるからだ。企業はギートを雇い、在宅勤務で仕事を任せている。こうした未来像を、IT関連の技術者だけで思い描くのは難しい。

円滑にプロジェクトを進められるか

 もちろん、異なる分野の専門家を集めたからといって、研究プロジェクトがうまくいくわけではない。「むしろその逆だ」と、東京工業大学の出口教授は強調する。異なる専門家が一堂に会し、それぞれが自分の分野の専門用語を使うと、意思疎通はとたんに難しくなる。その状況でプロジェクトを円滑に運営するのが並大抵の苦労ではないのは、容易に想像がつく。

 出口教授自身は理学博士と経済学博士の資格を持ち、「文系の人には文系の言葉で、理系の人には理系の言葉で問題点を指摘する」という。「海外では文系と理系をまたがるような、複数の専門を持つ人がその調整役を果たすことが多い。しかし日本では、これができる人はほとんどいない」(同)。

 例えば米国は、日本と状況が異なるようだ。そう指摘するのは、日本IBM ソフトウェア開発研究所所長を務める岩野和生 執行役員である。

 IBM本社でオートノミック・コンピューティングの将来について議論したときのことだ。「各分野の専門家が集まり、徹底的に議論した。社内で議論した結果を基に、米国防総省高等研究計画局(DARPA)や全米科学財団(NSF)にも相談。最終的に10年先、20年先を見据えたビジョンを作っただけでなく、どう実現すべきかのロードマップまで描くことができた。プロフェッショナル同士が自分の所属を超えて協力し、ごく自然に作業を進める様子を見て米国の底力を感じた」と、岩野所長は振り返る(右掲記事)。

 そもそも学際的な研究体制を取る以前に、「これからどのような社会を作っていきたいのかを、十分に議論すべきではないか」と、国立情報学研究所の上野教授は話す。

 「いま政府は、イノベーションという言葉をしきりに取り上げている。本来なら、『こうありたい』というビジョンがあり、『それを実現するのは、今の環境では不可能』という状況認識があって、初めてイノベーションが起こるはず。いきなり、イノベーションを起こそうと議論するのは不毛だ。ITの将来に関する議論は、これと共通している」(同)。

 ここまで見たように、2031年に向けて乗り越えるべき課題は数多い。だが、間違いなくいえるのは「情報システムには、できることがまだまだある」ということだ。むしろ「人間の役に立つシステム化は、これからが本番」と考えてよいだろう。

 人に優しいシステムに向けた取り組みは、新たな技術を待たなくてもその一歩を踏み出すことができる。効率性や利便性に加えて、「事業部門や自社の顧客にとっての豊かさとは何か」を、企業システムに携わる一人ひとりが考える。2031年につながるシステムは、その積み重ねによって生まれるはずだ。

一つの理論にこだわるのは禁物

マービン・ミンスキー氏
米マサチューセッツ工科大学(MIT)
メディア・ラボラトリ、AIラボラトリ教授。通称「AIの父」

 AI(人工知能)の研究は、1950年代半ばから急速に活発化したが、1970年代以降、廃れていく一方だった。AIの研究がノーム・チョムスキー(MIT教授)氏らが進める言語学に偏り過ぎていたことが、原因の一つではないかと考えている。言語と人間の知的活動に深い関係があるのは確かだが、このときに言語の意味よりもむしろ、言語構造や文法に目を向けてしまった。当然、知能は言葉だけで表せるものではない。

 1970年代からは、(人間の脳をまねた)ニューラル・ネットワークが流行した。これは、人間の知的活動を統計的な手法によって表現しようとする試みだった。しかし、統計的な手法に依存しすぎたため、やはり成果は芳しくなかった。

 その一方で、AIの重要性がより高まっていることに疑いの余地はない。これから世界中で高齢化社会の問題が深刻化する。そうなると、人間の代わりに働いたり、人間を支えたりするロボットが不可欠になる。その実現には、AI技術によって人間並みの常識を備えたロボットを作らなければならない。ところが現在のコンピュータは、高度な計算はできても、子供が答えることができるような質問にさえ、いまだに満足に回答できない状態である。

 いま私が取り組んでいるのは、感情や思考に関する研究だ。これを「エモーション・マシン(Emotion Machine:感情機械)」と呼んでいる。これは、人間の知的活動は「考える」、「(~のように)振る舞う」、「学ぶ」といった無数のプロセスの組み合わせとみなすことができる、という考え方に基づいている。感情もそのプロセスの一つであり、思考と分離して考えるべきものではない、ということになる。こうしたエモーション・マシンは言語学の手法や統計的手法など、一つの理論で説明できるものではない。こうした観点から、AIについてさらに研究を続けていきたい。

(静岡大学で2006年12月に開催された「幼児のコモンセンス知識研究会」の講演より)