2007年12月16日,社会保険庁は「ねんきん特別便」の発送を開始した。日本経済新聞によると,初日に30万通,年内に残り48万通を投函するという。年末の郵便物が多くなる時期に,78万通もの郵便物を投函するというのは,プロセスを想定できない人々の焦りの末の意志決定か,と思いながら記事を読んだ。

 12月の後半になると,郵便局は年賀郵便で特別体制になる。不慣れなアルバイトも増えて,とかく郵便物の送達で小さなトラブルが頻発する。そういう時期をわざわざ選ぶとは,どういうことだろうか。

 そもそも,年金加入履歴を照会する郵便物を年金受給者や被保険者に向けていきなり郵送することが,最善の策なのか。厚労省・社保庁の起案者,利害関係者,意志決定者たちには,そうした疑問は浮かばなかったのだろう。

 私が起案者であれば,ねんきん特別便の発送にあたって,次のようなプロセスを想定する。

想定プロセスその1:現住地の確認

 今回のねんきん特別便では,いったいどれくらいの還付率(あて先不明で戻ってくる郵便物の比率)を想定しているのだろうか。あるいは,すべての住所が正しいことを事前に確認した上で発送しているのだろうか。約1億人という膨大な数の国民に郵送物を投函する場合,還付率が低くなるような施策を考えるべきだ。これには郵送コストの無駄遣いを防ぐという意味もある。

 まず最初にやるべきは,郵便物のあて先が年金受給者や被保険者の現住地に間違いないかどうかの確認作業だ。そのためには,個人情報を記載したねんきん特別便をいきなり投函するのではなく,まず現住地確認の郵便物(ハガキ等)を発送する。その上で,還付されてきた郵便物について,現住地の確認作業を実施する。

 社保庁や社会保険事務所は,現住地確認の作業を組織的に実施した経験はないだろう。だとすれば,まず,現住地確認の郵便物が還付されてきた場合の現住地確認の方法(業務)を確立しなければならない。これは意外に難しい。現住地を訪問(別の役所では現調と呼ぶらしい)することでしか解決できない場合もある。訪問しても確認できない場合もある。

想定プロセスその2:“郵便”という発想を疑う

 ねんきん特別便を“郵便”で送るという発想は,そもそも正しいのだろうか。

 例えば,臨時に現調職員を雇用して,送達物を持参させる方法は考えられないのか。あるいは,日本郵便ではなくて他の送達物委託会社を使うことは考えられないか。その場合,転居先に関する情報を特別に聴取してくるように頼めないか,等々を想定してみる。もちろん,いくつかの方法は実際に試行して,その結果を評価する。

 これらは,ねんきん特別便を“郵送物”と決めつけていては思い付かない。社保庁とその業務を受託している会社には,プロセスの概念が認識されていない。

 朝日新聞社のWebサイトであるasahi.comは12月14日付のニュースで,「特別便・電話相談で130億円計上へ」と報じた。この記事によると,厚生労働省は12月13日,ねんきん特別便とそれにともなう電話相談窓口の運営のために,130億円という巨額費用の補正予算への計上を決定したという。しかし,ねんきん特別便はかなり以前から話題になっていた。これまで予算措置を講じることがなかったのだろうか。

 この記事は,130億円の内訳を伝えていないが,ぜひ明らかにして欲しい。そして,その使途が妥当かどうかは,使い方も含めて第三者が評価するべきである。これまでの報告書類を見る限り,社保庁内に設けられた業務改革本部や厚生労働省が設けた類似の本部などは,社保庁の業務遂行を監督し監査する機能も能力も備えていないと考えられるからだ。

 130億円が年金制度の信頼回復のために必要なものであれば,その支出自体を非難するつもりはない。ただ,130億円も支出するのであれば,できるだけ効果的な使い方を考えるべきだと指摘したい。

情報通信システムの実務を担える要員構成になっていない

 2007年12月4日,IT戦略会議に「社会保険オンラインシステム最適化評価ワーキンググループ」が設置された。現行の社会保険オンラインシステムを評価するとともに,その反省を2010年稼働予定の新システムに反映しようという試みである。

 同委員会の公開資料の中に,社保庁の「年金記録管理(システム)の変遷(イメージ)」がある。この資料を眺めていると,社保庁がどのような経緯で現行の情報通信システムを作り上げてきたか,どのようなタイミングでどのような問題が発生して,それをひた隠しにしてきたか,ということが一目瞭然で理解できる。

 現行のオンラインシステムを開発し,運用管理しているのは社会保険庁の社会保険業務センターと呼ばれる組織である。以前は社会保険庁年金保険部業務課がシステムを所管していたが平成元年(1989年),社会保険業務センターに改組された。

 システムに関する社保庁の組織上の当事者は,社会保険業務センター長である。現行のオンラインシステムが稼働を始めた当時の組織図は公開されていないが,社保庁の年金保険部業務課長が兼務していたらしい。現在は業務センターに副所長職が設けられ,実質的にはその人物が社保庁オンラインシステムの運用を取り仕切っているようだ。これは年金業務・組織再生会議の議事録で,副所長がヒアリングに出席していることから推測した。

 社会保険庁には情報通信システムの企画,計画,開発,運用という重要な業務を担う組織もその責任者も不在なままで,20数年にわたって情報通信システムの開発と運用を行ってきた。年金業務・再生会議の議事録や先に上げたワーキンググループ作成の資料などからは,そうした事実が浮かび上がってくる。

 ちなみに,社保庁とその上部組織である厚労省には,社保庁の業務改革を推進する目的でいくつかの組織が編成されている。社保庁内には業務改革推進本部があり,厚労省には年金業務改革推進本部がある。しかし,これらの組織には情報通信システムと業務プロセス改革の専門家は一人もいない。つまり,特別編成の組織はあるが,その組織が情報通信システムの実務を担える要員構成にはなっていない。