著者:林 信行=ITジャーナリスト

 本連載では,アップルがiPhoneでケータイ業界にいかに大きな影響を与えたかを紹介してきた。ただ,アップルが特定の業界に本質的な変化をもたらしたのは,実はこれが初めてではない。Macでパソコン業界を変え,iPodとiTunes Storeで音楽業界を変え,最近では米国のテレビ業界も変えつつある。

 アップルがこうしたイノベーションを起こした背景には,「会社の夢」であるビジョンや,製品をグランドデザインする力があった。今回は,アップルの影響力と,その背景について紹介しよう。

 読者の皆さんの会社には,アップルのような5年後,10年後の夢はあるだろうか?

音楽業界を塗り替えたアップル

 iPhoneでケータイ業界を変える3年前,アップルはオンライン音楽販売サービスの「iTunes Music Store」(現iTunes Store)を立ち上げて,音楽業界を一変させた(写真1)。

写真1●「iTunes Music Store」の日本発表会見   写真1●「iTunes Music Store」の日本発表会見
スティーブ・ジョブズCEO(左)とアーティトのベック。

 音楽をそれまでのようにCDというパッケージで買うのではなく,1曲単位で自由に買えるようにした。しかも音楽の販売事業は,あくまでも音楽プレーヤ「iPod」の販促の一環。音楽の販売そのもので儲けようとしない斬新な発想で,米国ではほかのどの会社よりも安い1曲99セントで販売し,果敢にもファイル交換ソフトで不法流通している音楽に対抗しようと試みた。

 この結果,少なくとも米国では音楽市場を大きく変えた。

 iTunes Storeで週替わりで配付している無料の曲がきっかけで,大ブレイクしたアーティストも少なくない。ウォールストリートジャーナル紙は2007年3月9日付けの「Music's New Gatekeeper」(音楽の新しい門番)と題した記事で,アップルの音楽業界における影響力の大きさを紹介し,「アップルは音楽ビジネスにおいても稀な成功物語だ」と書いている。

 他社からアップルだけが成功していることを批判されると,英EMIとともにDRM(デジタル著作権管理)を取り外した非独占的音楽ファイルの販売を始め,iPod以外の音楽プレーヤでも音楽を再生できるようにした。ただし最近では、米マイクロソフトの「Windows Media」や他社の音楽サービスに対応しないといったやり方が、独占禁止法違反に相当すると訴えられた(関連記事)。

 アップルの音楽業界での影響力は,もはや経済的だけでなく,音楽産業の生態系にまで大きな影響を及ぼしている。米国ではオンライン配信で音楽に触れる人が増えたことで,コンサートの収益が上がったと言われている。エコノミスト誌の2007年6月5日号では,業界誌「ポールスター」を引用して,2000年には17億ドルだった米国での音楽コンサートの売り上げが2006年には31億ドルに達し,ミュージシャンの収入源の3分の2にまで増えていると紹介している。このほか人気アーティストのプリンスは,Mail on Sunday紙を通して,新作アルバムを無料配付するといった斬新なマーケティングを展開して話題となった。

 一方,日本の音楽業界はこの流れに必死で抵抗して,それまでのビジネスを守ろうとしている。iTunes Storeの曲の販売価格も,日本だけ異例の150円/200円の2プライス制だ。その代わり,日本の音楽業界はここ数年,米国の音楽業界ほど再興できていないと指摘する声が多い。