意思決定を行う際,1つか2つの案を基に議論するより,もっと多くの案を比較検討するほうが「意思決定の品質」は高くなる。当たり前のことだが,これを実践できている企業は少ない。戦略案の作り方も俗人的なことが多く,システマチックに検討している組織は限られている。今回はこの「戦略案づくり」を取り上げ,クリエーティブに,組織の経験や知見を生かしながら複数の戦略案(戦略代替案)を作る方法を考える。「ストラテジー・テーブル」「ディシジョン・ツリー」などのツールを使えば,戦略代替案づくりをシステマチックに進められるだろう。

宮本 明美
インテグラート 取締役


 意思決定とは,『複数の選択肢の中から,最適な選択をすること』です。よって,その意思決定の対象となる「選択肢」(代替案)をより多く持つことは,より良い意思決定をする可能性を高めることにつながります。「複数の戦略代替案が検討されているかどうか」は,組織の意思決定の品質を測る視点の1つです。

 しかしながら,ビジネスの意思決定の現場では,発案者の思い込みが強すぎたり,時間的な制約などから1つの案しか検討されないことも少なくありません。複数の戦略案が提出・検討されることは,むしろ稀なのです。戦略案が複数出されているように見えても,実は本命の案を引き立たせるための“捨て案”であるようなケースも多くみられます。

 戦略づくりは,トップの「思いつき」や現場担当者の「思い」がきっかけとなってスタートすることが多いと思います。戦略づくりのきっかけは,案外俗人的なアイデアだったりします。

 ただし,「思いつき」や「思い」からスタートしているからといって,戦略案の策定プロセスまで主観的になっているとしたら考えものです。戦略案が主観に偏ることによって,実現可能性ばかりを気にした保守的な案や,問題意識をベースに現状を否定した極端な案に陥ってしまいがちです。また,さまざまな情報やアイデアが,部門を越えて共有される機会が少なく,組織としての経験や知見を戦略づくりに反映できないでいるケースも多く見られます。良い案をより多く作るためには,いくつか乗り越えるべき課題が横たわっているのです。

 まずは前回と前々回に続いて,A社のケースを基に戦略案づくりの進め方を考えてみましょう。富裕層男性向けの新ブランドの立ち上げるA社の新事業プロジェクトでは,デパートや化粧品取扱店など既存の販売チャネルを活かした「従来案」と,インターネットをチャネルとする「見直し案」の2つを検討しました。1つの案しか検討しないよりはいいですが,戦略案がたった2つしか出てこないのは問題です。詳細は後で解説しますが,実はもっと多くの戦略案が考えられるはずなのです。

A社佐藤課長の不覚◆なぜ第3の案が出てこなかったのか!

 某日の夜,大手化学メーカーA社のコーポレートIT部のオフィスで,鈴木主任とその上司である佐藤課長が会議室にこもり,ホワイトボードを見ながら議論していた。コンサルタントの高橋氏から意思決定におけるフレーミングの重要性を学んだ鈴木主任は,佐藤課長と共に「新事業プロジェクト」のフレーミングを行っていた。

 図1は,新事業プロジェクトのフレーミングの結果を整理したビジョン・ステートメントである。佐藤課長からのヒアリングを基に作成したものであり,他のプロジェクトメンバーやマネジメントの意見も聞く必要があるが,おおよそのポイントは整理されていると思われる。

図1●A社新事業プロジェクトのビジョン・ステートメント
図1●A社新事業プロジェクトのビジョン・ステートメント

「この…えぇと『意思決定フレーム』だっけ? フレームが整理されていて,検討メンバーで共有されていれば,もっと議論がスムーズに進んだだろうに…」

 佐藤課長が,ため息まじりにつぶやいた。鈴木主任とフレーミングを行ったことで,佐藤課長の頭の中はかなり整理されたようだ。新事業プロジェクトの戦略に関する検討は,この半年間,A社の経営戦略会議の主要議題であり,議論が行きつ戻りつしたこともあり,かなりの時間を費やしていた。

「佐藤課長,ビジョン・ステートメントによると,既存チャネルの利益率の悪化は,会社にとって重大事なのですね。今回の新ブラント立ち上げのきっかけにもなっています」

 鈴木主任はフレーミングを進める中で,新事業検討の発端が既存チャネルの利益率が悪化している点にあることを初めて知った。A社は,女性化粧品をデパートや提携小売店で販売しているが,競合会社が積極的なチャネル政策を打ち出したため,苦戦を強いられている。競合会社がリベートや報奨金を引き上げ,A社も追随せざるを得ず,ここ2~3年でA社化粧品事業の利益率がかなり低下してしまった。化粧品事業はA社の主力事業の1つであり,その利益率の低下が会社経営に与えるインパクトはかなり大きい。

「そうなんだ。チャネルをどうするか,それが今度の事業にとって非常に重要な戦略要素と言えるだろうな」

 佐藤課長は,担当事業部と共に,インターネットの会員専用サイトのみをチャネルとした「見直し案」を検討することになった経緯を説明した。既存の小売店チャネルを利用した場合,新ブランドを立ち上げたとしても,どうしても現行のリベートや報奨金制度とかけ離れたものにすることはできない。これでは利益率を回復できないだろうというのが,担当事業部の意見であった。

 一方,男性用化粧品に新規参入した競合会社が,会員専用サイトを利用した戦略で大成功をおさめていた。A社もその戦略を見習い,顧客の囲い込みによる顧客1人当たりの売り上げアップを狙いつつ,一定の利益率をキープする見直し案を提案することになったという。このような説明に対して,鈴木主任は率直に質問した。

「佐藤課長がおっしゃることはよく分かります。ですが…,既存チャネルのテコ入れをしない限り,化粧品事業の利益の回復は難しいのではないでしょうか。新事業だけでは,今の事業の利益を確保するまでに相当の時間がかかるでしょうし。ましてや,新しいターゲットに新しいチャネルというのは,リスクが高すぎると思います。既存チャネルとインターネットの両方を利用した案は検討されなかったのですか?」

 鈴木主任の言葉に,佐藤課長はドキッとした。既存チャネルとインターネットの両方を利用する案は,検討してしかるべきだったが,全くしていなかった。「既存チャネルの利益率の悪化=新しいチャネルの構築」という単純な発想にとらわれていたことを,佐藤課長は今ようやく気付いた。

 インターネットを利用した見直し案に反対し,従来案を採用した社長や田中本部長の考えも,その辺りを懸念していたのではないだろうか。単なる思いつきや保守的な発想によるものではなかったのかもしれない。佐藤課長は,鈴木主任の指摘に至極納得した。

「それにしても,なぜ会議で互いの狙いや懸念が明らかにできなかったのだろうか」

 佐藤課長は自問した。原因の1つはフレーミングを行わなかったことだが,それだけではないと感じた。第1に,議論が足りなかったのは明らかだ。自分たちの提案にばかり目を向けていて,対案についての理解が不十分であった気がする。第2に,もっと多様な可能性を検討していなかった。鈴木主任から指摘された案が,なぜ検討対象にならなかったのか,愕然とするばかりだ。戦略代替案の作り方が根本的に間違っていたと感じた…。