企業において,「意思決定(計画と決定)」という活動は,組織の向かうべき方向を定め,経営資源の使い道を定める重要なものである。だが現実には,“声の大きい人の計画ばかり通る”など,十分な議論をせずに結論が導き出されているケースも多い。これではいつか,大失敗をしかねない。本連載は,「意思決定プロセスの品質」を高め,より良い意思決定を行うために有効な10のテクニックを解説する。初回は「なぜ意思決定がうまくいかないのか」という視点から,意思決定をめぐる問題点を考えてみたい。

宮本 明美
インテグラート 代表取締役社長


 情報システム部門の仕事は,システム開発・運用業務から戦略企画業務へシフトしつつあります。これに伴い,事業部門と一緒になって,事業計画や意思決定に関与するケースが一層増えています。日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)が実施した「企業IT動向調査2007」の結果でも,情報システム部門のスタッフに求められる主なスキルの1つに「戦略・企画力」が挙げられていました。

 しかし,情報システム部門のマネジャやリーダーの中には,自ら参画した意思決定に自信を持てない方や,決定内容に納得できない方など,さまざまな思いを抱えている方がいます。それらの意思決定が悪いものだったとは必ずしも言えませんが,本当に悪かった可能性もあるはずです。

 あなたの会社で,次のようなシーンに出くわしたことはないでしょうか。架空のA社が新規事業を立ち上げようと計画する話ですが,似たようなことは,販売契約の条件交渉や見積もりの策定,プロジェクトマネジメントなど,さまざまな場面で起こっています。もし,あなたにも似たような経験があるなら,その意思決定プロセスを振り返ってみてください。そして,A社の意思決定のどこに課題があるのか,考えてみてください。

ケーススタディ:A社の新規事業をめぐる意思決定への不満

「結局今回も,田中本部長の“声の大きさ”と“根回し”,社長の“鶴の一声”で決まってしまったな…。これじゃぁ,どんなに企画書の準備に時間をかけても,何の意味もないよ」

 大手化学メーカーのA社では,月一回,本部長以上のメンバーによる経営戦略会議が開催される。今月の会議に同行したコーポレートIT部の佐藤課長は,自席に戻るなり,ため息をもらしながらそうつぶやいた。

 今日の会議で佐藤課長は,現在取り組んでいる「新規事業プロジェクト」の企画提案を行った。このプロジェクトはA社の中期経営計画で掲げている取り組みの1つ,「富裕層男性向けの新ブランドの立ち上げ」を担っている。この新ブランドでは,アンチエイジングをキーワードに,男性向けの化粧品やヘルスケア製品,栄養補助食品を幅広く取り扱う。

 「従来案」では,デパートや女性化粧品の既存取扱店を新ブランドの販売チャネルとする計画だ。だが,担当事業部からの要請により,インターネットの会員専用サイトのみをチャネルとした「見直し案」をコーポレートIT部と共同で企画した。佐藤課長の様子を見ると,今日の経営会議で提案した「見直し案」は通らなかったようだ。部下の鈴木主任がそのことを恐る恐る尋ねてみると,佐藤課長の不満が一気に噴出し始めた。

「確かに,田中本部長の言うとおり,従来案でも既存チャネルを活かして,確実に販路を築けると思うよ。だけど,このままだと利益率の悪化は否めない」

 佐藤課長は,会員専用サイトを新規チャネルとする見直し案の方が良いと信じている。独自のチャネルを築くことで流通マージンをカットして,利益率を上げられるからだ。それに,ワンツーワンのマーケティングができるから,顧客の囲い込みや顧客一人当たりの売り上げアップも見込める。従来案と比べて初期投資が大きいから,投資回収までの時間はかかるものの,長期的に見れば,見直し案の方が明らかにリターンは高い。

 では,なぜ見直し案が採用されなかったのだろうか。佐藤課長の声は徐々に大きくなり,語気が荒くなっていった。

「社長と田中本部長は,今の販売チャネルとの関係を良好に保つことしか考えていないんだよ。だから従来案しか眼中にないんだ。こんなことなら,そもそも新規事業を立ち上げる意味がない!」

 このままだと,担当メンバーのモチベーションは下がる一方だし,結果として過去のプロジェクト同様,新規事業がうまくいかないことは目に見えている。佐藤課長は言い捨てるようにしながら,部屋を出て行った。

 部下の鈴木主任は,いつも経営戦略会議の後は,誰かが愚痴をこぼしているな,と思った。社内のいろんなステークホルダーが出席する会議だから,利害が異なるのは仕方ない。それにしても,メンバーが一丸となって取り組みたくなるような意思決定はできないのだろうか――。