「うつ病などにかかる人は他産業の10倍にもなる」。日立ソフトウェアエンジニアリングで健康管理統括センタ長を務める医師の辻正弘氏は、日本のソフト業界がメンタルヘルス問題に真剣に取り組む必要性を説く。辻氏は4年前に日立ソフトで産業医になった。そして分かったのは、ソフト産業が持っているいくつかの特別な環境が社員のメンタルヘルスに大きな影響を与えている、ということだった。

 一例を挙げると、プロジェクトの技術者を増やしても、必ずしも生産性が上がるとは限らないことがある。プロジェクトの遅れが発生すると、通常は技術者を増やそうとする。しかし状況を知らない技術者を増やしても、逆に生産性が落ちてしまう場合がある。このためプロジェクトに当初から従事する技術者だけで、やり遂げようとするケースが少なくない。その結果として過重労働に陥り、長時間残業で問題解決しようとすることが常態化していく。

 パソコンによるテクノストレスもある。光による睡眠リズムの障害が出やすいことだ。夜型を助長させるという。また人間関係が苦手の人が多いことも挙げられる。「プログラムを組んでいる間は元気なのだが、顧客との交渉になると問題が出てくる」(辻氏)。仕様固めなどの折衝場面でつまずいてしまうわけだ。

 辻氏によると、うつ病に対する解決策で最も大切なことは残業時間を減らすこと。「月80時間以上も残業する技術者がいる環境にメスを入れないといけない」。特に高血圧や糖尿病などといった生活病は10年後、20年後に大きな影響を与えることもある。病院に行く気力さえなくなる。経営者は音頭を取ってでも残業を減らすようにしなければならないという。

 解決策の第二は、うつ病にかかった人へのケア活動である。日立ソフトでは3年前から管理職を対象にうつ病を知ってもらう教育を始めた。ある大手企業の子会社では対応を間違い、上司が「あいつは気合が入っていないので出社しないのだろう」と判断して無理に出社させたので、問題になった例もある。最近は若手への対処も欠かせない。「社会的にもまれたことが少ないので、上司に怒られると萎縮してしまう」(辻氏)。

 日立ソフトの石川浩人事部長は「どんな人がうつ病になりやすいかをつかみ、事前からケアしていく。もちろん月80時間以上を超える異常な残業をさせないよう人事部からも警告を発する」と言う。辻氏は忙しいプロジェクトの現場に出向き、全員に面談することもある。「残業の実態をつかみ、問題があれば報告する。いわばボクシングのセコンド役だ。現場からは忙しい中で実施するので嫌われているが、社員たちの奥さんからは喜ばれている」そうだ。

 いったん、うつ病にかかると復職には時間がかかる。「きちんと治療しないと、半数の人は再びうつ病になる心配があるので、復職には制限を設けた」(辻氏)。例えば「月24時間・1日2時間以上の残業をさせない」「土日の出勤をさせない」「泊まりがけの出張をさせない」などだ。つまり規則正しく生活できるようにする、ということである。本人に任せておくと、どうしても夜型になってしまうので、朝型に切り替えるよう外から仕向けることも不可欠である。

 体調面の管理も必要だ。ストレス解消のため、飲んだり食べたりする量が増えることがある。運動不足にもなる。日立ソフトは「人がすべてなので、健康管理にも力を入れている。血圧と糖尿病の影響は大きいので、ある数値を超えると海外出張をさせない、残業をさせないという処置もする」(石川部長)という対策を施す。

 辻氏は「トップが明確な意思を持つことが不可欠。人を大事にしない組織は長い目で見ればだめになる。人材が資本なのに優秀な人が集まらなくなる。業界全体で解決しなければ、ソフト業界は沈没してしまう」と指摘。「10年間続けていけば、ソフト業界の習慣は変わるはずだ」と辻氏は信じている。