土日出勤や連日の深夜残業といった過重労働,スケジュール通りに進まないプロジェクト,次々に登場する新技術に対応しなければならないプレッシャ,将来のキャリアパスが見えない不安…。ITエジニアを取り巻く環境は厳しさを増す一方だ(図1)。過酷な状況に追い込まれれば,当然,疲れやストレスが溜まり,やがては“こころの病”へと移行する可能性がある。読者自身あるいは読者の周りのエンジニアにも,“こころの病予備軍”は結構いるのではないだろうか。

図1●ITエンジニアが「こころの病」にかかる主な要因
図1●ITエンジニアが「こころの病」にかかる主な要因

 こころの病やこころの“不健康状態”を,ここでは「メンタルヘルス不調」と呼ぶことにする。

 メンタルヘルス不調者はここ数年,明らかに増加傾向にある。財団法人・社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所が2006年4月に実施した上場企業2150社に対するアンケート調査(回答数は218社)でも,6割以上(61.5%)の企業が「過去3年間で,こころの病は増加傾向にある」と答えている。

 ちなみに,筆者が産業医を務める富士ゼロックスでも,以前は1カ月以上の病気欠勤者のうち,メンタルへルス不調者の割合は毎年3分の2を超えていた。もちろん,メンタルヘルス不調はあらゆる職種に見られる。しかし,他の職種と比べてITエンジニアがかかる割合は高い傾向にある。

 メンタルヘルス不調にならないため,あるいはメンタルヘルス不調を早期に発見し早めに治療するためには,「いつもと違う自分」に気付いたり,自らが「ストレスをコントロール」する必要がある。つまり「自分の健康は自分で守る」という「セルフケア」の心構えが必要だ。

 これを実行するためには,メンタルヘルス不調に関する最低限の知識は持っていなければならない。そこで本記事では,メンタルヘルス不調の症状や治療法,早期発見と予防の方法など,すべてのITエンジニアが知っておくべき,メンタルヘルス不調についての知識を解説したい。

スケジュール遅れがうつ病に

 具体的なメンタルヘルス不調の説明に入る前に,筆者が相談を受けたSEの事例を紹介しよう。いずれも,ITエンジニアがメンタルヘルス不調にかかる典型的な例である。

事例 1

 「5時に予約した鈴木(仮名)ですが」と,鈴木さんは筆者の面談室に入ってきた。そして,「いろいろ迷ったが,これは先生に話を聞いてもらうしかないと…」と話を切り出した。「どうしたのか」と筆者が尋ねると,鈴木さんはおもむろにファイルから1枚の紙を取り出し,「先生,私,全部マルなんです」と答えた。

 それは,筆者が社内報に毎号執筆している「ドクター河野の健康チェック」の第22回「うつ状態について自己点検をしましょう」のコピーだった(図2)。全10項目の質問のうち,「ほとんど毎日」が6項目以上の人は,かかりつけの医師もしくは産業医に相談するよう勧めていたのだ。

図2●うつ状態の自己点検シート
図2●うつ状態の自己点検シート
「うつ状態」は,生きていくために必要な「生命のエネルギー」が欠乏している状態である
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 鈴木さんの話を要約すると次の通りである。「マネジャーとして参加した全社規模の物流システム構築プロジェクトが当初のスケジュール通りに進まないため,チーム全体が長時間労働に陥り,これが3カ月以上続いている。その結果マネジャーである自分は疲れ切って,なにもやる気がなくなった。夜も眠れず食欲もない。一瞬だが,死んだら楽になると思うときもある。しかし,この状態を会社に報告すると,自分の社内での評価が下がり,先の希望が持てなくなる…」。

 筆者は「鈴木さんは『うつ病』の初期と診断できるため,まずは3カ月間会社を休み,抗うつ薬を飲んで治療してください。そうすれば,この病気は必ずよくなります」と伝えた。さらに「うつ病が直るまでは,仕事を含めて今後の人生については何も決めないこと」と,「死にたい気持ちが強くなることがあるが,これはうつ病の症状なので,決して自殺をしないこと」を約束してもらった。

 鈴木さんのうつ症状は,3カ月間でほぼ消失したが,仕事に対する意欲が低下しており,職場に復帰する前に今までの自分の考え方や行動をもう一度見直したい気持ちが強くなったため,引き続き休職。正式に職場に復帰したのは,休職を始めてから1年後だった。

事例 2

 山田(仮名)さんは,一目見てうつ状態であることが分かるほど消耗していた。顔に生気がなく目にも力がない。対話もぽつんぽつんとしかできず,頭の回転が低下している(「思考抑制」と呼ぶ)ので,会話の反応も遅い。聞いてみると,図2の10項目もすべて「ほとんど毎日」だった。

 山田さんは6カ月間,残業を続けながらチーム・リーダーとしてあるユーザー企業向けのシステムを開発してきたが,どう頑張っても納期に間に合わない状況に追い込まれ,それが原因で今のような状態になったのだという。上司に相談したところ,産業医に相談に行くよう指示された,ということであった。会社が管理職に求めている「いつもと違う部下を早く見つけて,産業医に会わせる」という役割が,ぎりぎりのところで機能した例と言える。

 筆者は即うつ病と診断し,休職してもらうことにした。山田さんは,地方からの単身赴任者だったため,休職中は実家に戻ってもらい,地元の精神科医に治療を依頼した。その結果,3カ月後には職場に復帰することができた。