社員が職務上行った発明は,通常「社内規則」などに従って企業が特許権を譲り受けるのが普通だ。ただし,社員にはその発明にかかわる「相当の対価」を受け取る権利がある。あなたが,なんらかの職務上の発明を行ったときに備えて,職務発明に関する正しい法律知識を身に付けておこう。

 オリンパス光学工業(現・オリンパス)の研究開発部員だった田中俊平氏は,在職中の1977年にビデオディスク・プレーヤーの光ピックアップ装置に関する発明を行った。オリンパスは,同社の「発明考案取扱規程」に従って,この発明に関する「特許を受ける権利」を譲り受け,78年に特許を出願。89年に特許を取得した。同社は,この技術をソニーや三洋電機などにライセンス提供していた。

 同社は田中氏に対して,特許出願時に3000円,特許登録時に8000円を支払い,92年には「実績報償」として20万円を支払った。実績報償は,最初の2年間のライセンス収入を基準に1回だけ支払うことになっており,最高額は100万円という決まりだった。

 田中氏は,同社を退職した翌年の95年に,オリンパスへ譲渡した発明の「相当の対価」として2億円の支払いを求める訴訟を起こした。東京地方裁判所は,社内規則による報酬の金額が特許法上の「相当の対価」と言えないときは社員は不足額を請求でき,田中氏の「発明によりオリンパスが受けた利益は5000万円で,田中氏の貢献度は5%」と認定。田中氏が請求できる5%分の対価からすでに支払い済みの21万1000円を差し引いた228万9000円を支払うよう,オリンパスに命令した(東京地方裁判所1999年4月16日判決,判例時報1690号145頁)。

 これに対して,田中氏とオリンパスは双方ともに控訴したが,東京高等裁判所は,
(1)社内規則に基づく支払い金額が「相当な対価」と言えないときは,社員は不足額を請求できる。
(2)この発明は他の特許の改良発明に過ぎず,他社とのライセンス交渉でも他の特許が交渉の主な対象であったことなどから,東京地裁がこの発明でオリンパスが受けた利益を5000万円と認定したことには合理性がある。
(3)オリンパスの特許担当者が,大幅に特許出願の内容を変更したことでライセンス提供が可能になったことから,田中氏の貢献度を5%としたことにも合理性がある。
と判断し,双方の控訴を棄却した。(東京高等裁判所2001年5月22日判決,判例時報1753号23頁)

 なお事件は上告されたが,最高裁判所も高裁判決を支持した。(最高裁判所2003年4月22日判決,判例時報1822号39頁)

 仕事の中で行われた発明に対して,企業はどれほどの対価を支払うべきか――。近年,社員が発明の「相当の対価」を支払うよう企業に求める訴訟が相次いでいる。

 ITエンジニアも,ソフトウエア関連特許やハードウエアに関する特許を職務として発明することがあるだろう。そうした場合に,社員の権利は法律上どのように取り扱われるのか。しっかりと理解しておいて欲しい。

職務発明に関する企業の権利

 企業に所属する社員の発明は,企業の業務範囲に属する「業務発明」と,企業の業務範囲に入らない「自由発明」の2種類に分類できる。自由発明とは,例えば半導体メーカーに勤める人が,日用品の発明をした場合などが当てはまる。

 業務発明は,さらに社員の現在または過去の職務に属する発明である「職務発明」と,職務外の発明である「職務外発明」に分類される。職務外発明とは,例えば半導体メーカーの販売部門やマーケティング部門にいる人が,半導体に関する発明を行った場合だ。

 特許法は,「特許を受ける権利は,発明者に帰属する」と定めている。しかし「職務発明」の場合は,企業が研究開発費や研究施設,資材,給与などを負担しているので,企業は発明に貢献していることになる。そこで特許法では,「企業は職務発明に関する『通常実施権』を持つ」と定めている(特許法35条1項)。通常実施権とは,特許を使った製品を生産したり販売したりするために,特許を使う権利のことである。ただし,通常実施権は特許の利用を独占できずに単に利用できる権利である。これに対して,特許を独占的に利用できる実施権のことを,「専用実施権」と呼ぶ。

社内規則で特許権を承継

 通常実施権だけでは,企業は特許を独占できない。例えば,特許権を持つ社員が競合他社にライセンス提供する可能性があり,企業としては戦略上好ましくない事態が起こり得るのである。

 このため企業は,社員から「特許を受ける権利」や「特許権」を譲り受けることができるような「社内規則」を設けているのが普通だ。特許法も,こうした社内規則を設けることを認めている(35条3項,)。

図●職務発明について規定した特許法35条(一部)
図●職務発明について規定した特許法35条(一部)

 例えば,冒頭に挙げたオリンパスの場合は,「発明考案取扱規程」で,社員が「特許を受ける権利」をオリンパスに譲渡する決まりになっていた。また,青色発光ダイオードの発明の帰属と対価をめぐる,米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授と日亜化学工業との訴訟でも,東京地方裁判所は「『発明・考案及び業務改善提案規定』に基づいて特許権は日亜化学工業に譲渡された」と認定している(東京地方裁判所2002年9月19日中間判決,判例時報1802号30頁)。

算定が難しい「相当の対価」

 企業は特許権を譲り受けた場合,社員に『相当の対価』を支払わなければならない(特許法35条3項)。しかし,相当の対価の算定は困難である。

 日立製作所の主任研究員だった米澤成二氏が光ディスク装置に関する発明について相当の対価を請求した訴訟でも,外国特許の扱いや,共同発明者の寄与度などが争点となった。この事件の第一審は,日立製作所に3490万円の支払いを命じたが,第二審は,1億6533万円の支払いを命じた(東京地方裁判所2002年11月29日判決,判例時報1807号33頁,東京高等裁判所2004年1月29日判決,判例時報1848号25頁)。

 その後改正された特許法35条では,(1)対価の額が企業と社員の自主的な協議で定められた場合はその額を尊重し(特許法35条4項),(2)その定めにより対価を支払うことが不合理な場合は,企業が受ける利益の額,発明に関連した企業の負担,貢献,社員の処遇などを考慮して定める(特許法35条5項)---と,基準がやや明確になった(図参照)。

辛島 睦 弁護士
1939年生まれ。61年東京大学法学部卒業。65年弁護士登録。74年から日本アイ・ビー・エムで社内弁護士として勤務。94年から99年まで同社法務・知的所有権担当取締役。現在は森・濱田松本法律事務所に所属。法とコンピュータ学会理事