嗜好が多様化している消費者は、あるものは高くても買うが、あるものはいくら安くても購入しなくなった。そんな消費者の心をつかむための“何か”として、『顧客経験価値(Customer Experience)』が注目を集めている。実践企業は、業績を急速に伸ばすなどの成果を上げている。

野村総合研究所 田中 達雄


 私たちは商品やサービスを選ぶ時、その機能・効果と価格だけで決めているだろうか。コモディティ化した商品/サービスなら、そうかもしれない。しかし、プラス・アルファの価値に魅力を感じて、そこにお金を出したくなることも多いはずだ。

 今、そのプラス・アルファの価値の1つとして、そして従来のCRM(Customer Relationship Management)を超えるためのものとして、『顧客経験価値』が注目を集めている。顧客経験価値(Customer Experience)は、「商品やサービスを購入したり使用したりする過程から得られる価値」あるいは「顧客の内面に『思い出』や『印象』として残るもの」を指す。これらは消費者の購買行動に、実に大きな影響を与えており、財布のひもが固い消費者であっても、良い顧客経験価値は消費者の気持ちを変えてしまう力を持つ。

 ただ、この短い説明では顧客経験価値が何であるかイメージしづらいと思うので、まずは私が実体験した「シェフ・ミッキー」の例を基に、もう少し具体的に説明していこう。

息子が、嫌いな食べ物を食べてしまった!

 私には5歳の息子と3歳の娘がいる。この子供たちのリクエストにこたえて、毎年1回以上、東京ディズニーリゾート内にあるディズニーアンバサダーホテルのレストラン「シェフ・ミッキー」を利用している。実を言うと、私自身や妻もシェフ・ミッキーに行くことを楽しみにしている。「シェフ・ミッキー」は、食事をとりながらディズニー・キャラクターと触れ合える点が“ウリ”である。

 シェフ・ミッキーで出す料理の種類や数、料理の出来、内装や食器は満足できるものであり、キャラクターが席を回ってくれるのも楽しい。しかし、それだけなら従来型サービスの範囲と言える。シェフ・ミッキーの価値は、それを超えたところにある。

 例えば、ディズニー・キャラクターが席に来た時、息子の皿に残っている嫌いな食べ物を指して、キャラクターがそれとなく息子に食べるように促したことがある。すると、息子は微妙な顔つきながらも、嫌いな食べ物を食べてしまった(!)。また、妊娠中の妻を連れて行ったときは、キャラクターが楽しげにお祝いのジェスチャーをしてくれて、大きな感動を与えてくれた。このように、息子が嫌いな食べ物を食べてしまったときの「驚き」やお祝いをしてもらった「感動」といった体験が顧客経験価値である。単に「満足できるサービス」というレベルを超えた、非常に質の高いものであることが分かるだろう(図1)

図1●「満足する」と「感動する」のレベル比較
図1●「満足する」と「感動する」のレベル比較

 シェフ・ミッキーは、ランチ(ブッフェ)でも大人3800円、子供1800~2600円と高い料金設定ではある。しかし、子供たちをはじめ、妻も私自身もシェフ・ミッキーの顧客経験価値を知っているので、その料金を決して高いとは考えていない。普段は財布のひもが固い妻も、シェフ・ミッキーに行く時ばかりは別のようである。

「ものを買わない消費者」への次の一手が顧客経験価値

 シェフ・ミッキーはどの週末も予約でいっぱいだが、一方で、そのほかの業界では多くの企業が苦しい状況にある。特に最近、「顧客はものを買わなくなった」という言葉をよく聞く。企業が苦心して開発した商品やサービスでも、あっという間にコモディティ化して魅力が失われ、消費者が買わなくなってしまうのだ。ほとんどの業界で、より良い商品やサービスを作り出す開発競争が繰り広げられている。この競争が激しければ激しいほど、商品/サービスのコモディティ化も速くなる、というジレンマがある。

 「ものを買わなくなった」原因には、消費者の嗜好・ライフスタイルの多様化が進んでいる面もある。これまでにない機能や効果を訴求しても、それが嗜好に合わなければ消費者の反応は鈍い。その結果、「あるものは高くても買うが、あるものはいくら安くても購入しない」という消費者が増えている。高くても買うものの例はシェフ・ミッキー、いくら安くても買わないものの例はコモディティ化した商品/サービスだ。

 このような状況においては、もう従来型の顧客属性(年齢、性別、年収など)では、消費傾向を十分に説明できなくなったと言っていい。野村総合研究所(NRI)が2003年に実施した「生活者1万人アンケート」の結果も、それを裏付けている。

 インターネットの普及とWeb2.0時代の到来は、この傾向に拍車をかけている。消費者に「情報」というより大きなパワーが与えられたからだ。90年代のインターネットの普及期には、消費者側に立った情報提供(購買支援や生活提案)をするインターネット販売業者(仲介業者)が続々と現れた。さらに2000年以降、家庭にブロードバンドが浸透するにつれて、消費者自身も自らの知識に基づく情報を発信し始めた(図2)。こうした口コミ情報はブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを介して消費者間で共有され、消費者が商品/サービスを購入する際に重視していることはご存知の通りである。

図2●インターネット普及と情報によるパワーシフト
図2●インターネット普及と情報によるパワーシフト
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 そんな厳しい状況において、コモディティ化の波を避け、消費者の心をつかみ、市場における競争優位性を獲得/維持するために、一体どうすればよいのだろうか。そのためには、消費者一人ひとりを深く理解し、単なる商品やサービスを超えた“何か”を提供する必要がある。その“何か”の1つが『顧客経験価値』というわけだ。

 図3に、商品やサービスに対する顧客経験価値の位置付けを示した。顧客経験価値は、企業視点のマニュアル化されたサービスより価値が高い「顧客視点のサービス」であり、感動、発見、魅力的、面白い、心地よいなど顧客の内面に訴えかける要素を含んでいる。

図3●顧客経験価値の位置付け
図3●顧客経験価値の位置付け
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