10月24日,数々のGNUソフトウエアを生み出しているFree Software Foundation代表の“RMS”,Richard M.Stallman氏が東京秋葉原で講演した。記者は別件の予定が入っていたため聴講できなかったが,現地では“Church of Emacs”(Emacs教会)の聖人に扮したコス・プレを披露した模様である(関連記事)。Emacsエディタの始祖であるRMSならではの,ユーモアにあふれた楽しいジョークだ。

 RMSとは10年以上前に一度握手したことがある。仕事で国内のIT系展示会に行くと,そこにRMSがいた。会場では,そのカリスマ的風貌が,遠く離れた場所からも目立っていた。時代的には,フリー・ソフトウエアを企業向けにサポートするサービス事業が初めて立ち上がったころの話であり,まだインターネットは一般化しておらず,“Open Source”という言葉を立案した米Netscape Communicationsも登場していなかった。

 RMSの来日に関する最も初期の記憶は,記者が社会人に成り立ての1992年に遡る。この年に,SRAが開催したGNU関連のセミナー「Tokyo GNU Techincal Seminar」でRMSが講演した。記者は聴講していないのだが,この時にRMSが肉声で歌った「The Free Software Song」の音楽ファイルを,NECのPC-9800シリーズで再生して繰り返して聞いたことを覚えている。フレーズは今でも頭に浮かぶ。

 RMSのコス・プレで改めて思い起こすこととなったが,RMSと言えばその代表作はテキストを編集するためのスクリーン・エディタの雄であるEmacsエディタ。学生時代,便利にEmacsを使いこなす学校の後輩を尻目に,記者が最後まで習得できなかったエディタである。素晴らしく高機能でカスタマイズ性が高く,Lisp言語がカッコ良く,Emacs環境から抜けることなく何でもできたが,記者はもう一つのスクリーン・エディタの雄であるvi派に属していた(viの開発者は,BSDの創始者であるBill Joy氏)。

 Church of Emacsに代表されるように,Emacsとviという2つのエディタは,ユーモアあふれる,永遠かつ定番の“ネタ”である。今回,記事に掲載されたコス・プレ写真を見て,記者は「Emacsとviの話題はまだ生きているな」と安堵した。記者はvi使いであり,viの話題が出ると純粋に嬉しいのである。vi好きの理由の一つには,その直感的な操作感覚が,当時好きだったバイクの操作感覚に似ていたというのもある。

 viとの最初の出会いは学生時代,アスキーが運営していたパソコン通信サービス「アスキーネットPCS」の電子掲示板「junk.test」だった。viクローンであるELVISを日本語化したjelvisがアップロードされ,それをダウンロードして,PC-9801で動かした。ELVISを日本語化したのは,“itojun”(いとじゅん)。記者と年齢が近く,同じ学生であり,記者の友人の学友であった。jelvis後は,nviやBSD全般の開発にかかわり,IPv6関係の活動でもとても有名だ。itojunは,jelvisの作者として,記者にとっての永遠のヒーローである。

 記者は今後も,viを使い続けていくだろう。