尾関雅則氏は我が国の情報化を牽引したリーダーの一人である。国鉄時代には本格的なプロジェクトチームを作り、大型コンピューターを使って、みどりの窓口の座席予約オンラインシステムを開発、1973年1月に完成させた。日立製作所の常務に転じてから、パソコンなどオフィス製品事業の責任者となり、87年には国鉄の民営化によって作られた鉄道総合技術研究所の初代理事長に就任した。2007年現在も、IT関連の勉強会などに顔を出し、発言や質問をされている。

 その尾関氏は10年前、73歳の時に「オゼのホームページ」を開設、情報化やプロジェクトに関するエッセイを執筆した。今回、本サイト上に、オゼのホームページを復刻する。10年前の論考であっても経営とITに関わる本質的な意見が綴られている。


ソフト産業の傾向

 脱産業化時代の中核をなすソフトの制作は、あらゆる面で第二次産業における製造業の様態とは非常に異なっていました。それは、むしろ第一次産業時代の徒弟制度的なものにより近かったようです。また、創造性とひらめきを求められる点でも、すべてがマンアワーを中心として評価される第二次産業の労働とは、たいへん様子が違っています。

 個人の自由な発想を重視して、より柔軟な思考を支えるためにも、フレックスタイム制や在宅勤務が大きな意義を持つようになり、また女性の参入も重要な要素となってきています。交通通信の発展によって、ソフト産業の作業分散が可能になり人材確保の必要性からも、地方分散や、国外への分散も行われるようになってゆきます。

ソフト族の社会心理

 ソフトの制作作業は、丁度煉瓦積みのように退屈で、たいへん神経を使う辛気臭い仕事です。更に、その作業の前提となる システムの仕様はなかなか決まらず、ようやく決まったように見えても、 変わり易く不安定なのが普通です。もし、ソフト部隊の上司が、そのようなソフトの作業の性質を理解せずに、思い付きで、かなり作業が進んでいる時に、例えば あまり意味のないフォーマットの変更等を命じたら彼らの心理にどんなことが起こるでしょうか。

 彼らは、昨日まで積み上げてきた辛気臭い作業を、もう一度すべてやり直さなければ、ならなくなるのです。こんなことが二、三回も起これば、彼らは絶対にそういう上司を信用しなくなります。アンリーズナブルな、締め付け管理には無言の抵抗で対応するでしょう。こうなると、そのチームの仕事は管理されているとは言えなくなるのです。

(オリジナルは1998年12月9日公開)